何が「成長」をもたらしたのか
生活水準は人類の歴史全体を通して少しずつ上がってきたというのが、長年の通説だった。だが、この見方は正しくない。確かに科学技術は概ね、段々と次第に加速しながら進歩を遂げたが、それに見合った生活水準の改善をもたらすことはなかった。この数世紀に起きた生活の質の驚異的な向上は、ある突然の変化の産物だった。
今から数百年前、大半の人の暮らしは、その子孫である現代人の暮らしよりもむしろ、何千年も前の遠い祖先やその当時世界各地にいた人類の大半の暮らしに近かった。ところが、19世紀初頭以降、人類の歴史の長さに比べれば一瞬の内に、平均寿命は2倍以上に延び、1人当たりの所得は最も発展を遂げた地域では20倍に、世界全体では14倍に急上昇した。
停滞から成長への移行を促した要因について、産業革命こそが世界に突然、外から衝撃を与え、現代の成長の時代へと一気に突入させた原動力だと主張できるかもしれない。だが、産業革命が起きた18世紀と19世紀の資料からは、その間のどの時点をとってもそうした衝撃は存在しなかったことがわかる。その期間の生産性の向上は緩やかで、人口は急増したが平均所得はごくわずかしか増えなかった。
過去2世紀に生活水準の劇的な変容を引き起こした変化の歯車は、次の2つである。
①人口規模
人口規模と技術の変化は相互関係にある。技術の発展が人口増加を持続させ、人口増加が技術の発展を強固にするというサイクルは、人類の誕生以来ほとんど絶え間なく作動し続け、ついには技術革新の速度が臨界点に達した。
②人口構成
人口集団内での「教育重視」「未来志向」「起業家精神」といった特性を持つ人の割合や多様性/均質性の度合い。これらの特性を持った行動規範や態度、慣習などが集団内に普及することで停滞から成長への発展を速めた。
この2つが最終的に途方もない技術革新の爆発をもたらした。その爆発こそが産業革命だった。産業革命期には技術や商業の発展が人的資本への様々な形の投資を促した。人的資本は、識字能力や正規の教育という形をとる地域もあれば、専門技能職の発展と結びついている地域もあった。強化された人的資本はさらなる技術の発展を促した。
産業革命期の技術の進歩は、教育を受けた労働者の需要を高めたことで大衆教育を登場させ、平均寿命の延びや児童労働の減少、男女の賃金格差の縮小と相まって、人口転換を引き起こし、経済成長を人口増加の相殺効果から解放した。こうして、社会は生活水準を急上昇させることができた。
なぜ「格差」が生じたのか
一部の国の人が他の国の住民よりもはるかに多く稼ぐのはなぜか。収入の格差は、部分的には「労働生産性」の違いを反映している。つまり、世界の特定の地域で1時間の労働から生み出される製品やサービスが、別の地域で同じだけの労働から生まれる製品やサービスより価値が高いということだ。
工業化の初期に起きた国際貿易の拡大は、工業国と非工業国の双方の発展に重大な、非対称の影響をもたらした。工業国では人的資本への投資が強化され、人口転換に拍車がかかり、技術の進歩がさらに促され、そうした製品の生産での比較優位性が増すことになった。
対照的に非工業国では、技能をあまり必要としない農産物や原材料の生産への特化を奨励した。こうした部門では人的資本に投資する意欲が抑えられがちで、人口転換も遅れた。こうして、グローバル化と植民地化は過去2世紀の間に、国の豊かさの差をさらに広げた。工業国では貿易の利益は主に教育への投資に向けられ、それが1人当たりの所得の向上につながったが、非工業国では貿易の利益の大半は多産と人口増加に回されてしまった。それによって、当初の比較優位のパターンは拡大した。
では、植民地時代以前に存在していた不均等な発展はどう説明すればいいのか。国の豊かさの間にある巨大な格差は、原因となる一連の要因に根ざしている。表面にあるのが「近接要因」で、国家間の技術や教育の差などだ。一方、核心にあるのが、制度、文化、地理、住民の多様性といったもっと深い「究極要因」であり、それがすべてのおおもとに存在している。
格差のおおもとでは、地理や遠い過去に根ざした深い要因が、世界の一部の地域では成長を促すような文化の特性や政治制度の出現をしばしば下支えし、別の地域では成長を阻むような文化の特性や政治制度を後押しした。中央アメリカなどは、土地が大規模なプランテーションに適していたため、搾取や奴隷制度や不平等を特徴とする収奪的な政治制度が現れ、持続した。サハラ以南のアフリカをはじめとする場所では、病気が蔓延しやすかったので、農業や労働の生産性が上がらず、進んだ農業技術の導入や人口密度の低下、政治の中央集権化、長期的な繁栄が遅れた。
こうした地理的な特性が与える長期的な影響は、農業革命への移行の時期に差をもたらし、その格差は産業革命が始まるまでずっと続いた。しかし、こうした農業へ早く移行するのを助けた有益な力の数々は、産業革命以降は消えてなくなり、結局、今日の世界に見られる巨大な格差の形成にはわずかな影響しか及ぼしてこなかった。農業へ特化したせいで、やがて都市化が妨げられ、技術面で先行した強みが帳消しになったからだ。
国家の運命には歴史が長い影を落としている。しかし、その運命は決して変えようがないわけではない。未来志向や教育や技術革新を促し、男女平等や多元主義、差異の尊重を進めるような方策こそが、普遍的な繁栄のカギを握っているのだ。