既存の考えを新たな観点から見つめ直すことが大事
知性とは従来、考える・学ぶ能力であると認識されている。しかし、変化の激しい時代を生きるために、考えること・学ぶこと以上に貴重な認知スキルがある。それは「考え直す、学びほぐす(知識をリセットし、学び直す)」能力だ。人は考えることと同じくらいの時間を、再考にも費やす必要がある。
人は概して「認知倹約家」だと言われる。私たちが既存の考え方に執着することが多いのは、その方が考え直すよりもずっと楽だからだ。だが、それだけではない。再考を躊躇する原因は、私たちの心のもっと奥深いところにもある。
再考すべきかもしれないと自問することで、目の前の世界が予測不可能になってしまう。再考するためには、これまでの事実が変わったかもしれないこと、以前は正しいと信じていたことが現在では間違っているかもしれないことを認めなければならない。信じているものを見つめ直すことで、私たちのアイデンティティが脅かされる可能性があるのだ。
人はそう簡単には信念を変えない。人は、疑うことの不快感よりも、確信することの安心感を好む。私たちの思考は身体よりもずっと早くに柔軟性を失う。熟慮を要する意見よりも、自分にとって心地よい意見に好んで耳を傾ける。
思い込みを捨てて考え直すことができないという問題は、驚くほどよく目にする。これはおそらく、すべての人に共通する問題だろう。私たちのものの見方はパターン化し、それが私たちの足を引っ張っていても疑うこともなく、そのものの見方が問題となった時にはもう遅い。
脳の処理速度が速いからといって、柔軟な思考の持ち主であるとは限らない。どれだけ高い能力を持っていても、考えや見方を変えようとする意思がなければ、多くの再考察の機会を見過ごしてしまう。ある研究によると、知能指数テストのスコアが高ければ高いほど、より速くパターンを認識できるため、既成概念にとらわれやすいという。また、近年の複数の実験では、頭の回転が速い人ほど、信念を改めることに苦労することが示唆されている。
科学者のように考えよ
私たちの思考様式は、考えたり、話をしたりする時、無意識に3つの職業の思考モードに切り替わる。
- 牧師:理想を守り確固としたものにするために説教する
- 検察官:相手の間違いを明らかにするために論拠を並べる
- 政治家:支持層の是認を獲得するためにキャンペーンやロビー活動を行う
そこには、潜在的な危険性がある。それらの思考モードでは、自分の信念を貫くこと、他者の過ちを指摘すること、多くの指示を獲得することに没頭するあまり、自分の見解が間違っているかもしれないなどと再考しなくなるからだ。
私たちが持つべきは「科学者」の思考モードである。科学者は自分の知っていることを疑い、知らないことを深掘りする力が要求される。真実を追求する時、私たちは科学者の思考モードに入る。仮説を検証するために実験を行い、新しい知識を発見する。
科学者のように考えるとは、単に偏見のない心で物事に対応することではない。それは能動的に偏見を持たないことをいう。なぜ自分の見解が「間違っているかもしれない」のか、その理由を探し、わかったことに基づいて見解を改めることが必要だ。
大抵の場合、多くの人は偏見を捨てて、様々な観点から物事を見つけることによって恩恵を受けるはずだ。私たちの思考の敏捷性が向上するのは、科学者の思考モードにいる時だからだ。
どうすれば「思考の盲点」に気づけるか
私たちの知識や考えには「盲点」がある。思考の盲点は、人を「見えていないことが見えていない」状態にする。結果として自分の判断力に誤った自信を持つようになり、自分の考えが間違っているかもしれないと考えることさえしなくなるのだ。
だが、対処法はある。私たちは正しい種類の自信を持っていれば、曇りのない目で自分を見つめ、考え方を改善するよう学ことができる。
人は、ある特定の分野における能力が低ければ低いほど、同分野での自己能力を過大評価する傾向にある。これが原因で、人は自己を正しく認識できず、多くの場面で自分で自分の足を引っ張る。そして、人は自分の知識に確信を持っていると、知識の隙間や誤認を探そうとしないし、当然ながら隙間を埋めたり修正したりしない。
一方で、経験不足が明らかである時は自らを過小評価する。人が自信過剰になりやすいのは、ド素人からワンステップ進み、アマチュアになった時だ。ほんの少しの知識が危険になり得る。人は経験を積むにつれて、謙虚さを失うものだ。
私たちが手に入れるべきは、バランスの取れた自信と謙虚さだ。つまり、自己の能力を信じながら、自分の解決方法が正しくない可能性、あるいは問題自体を正しく理解していない可能性を認めること。そこから疑問が生まれれば、既存の知識を再評価するようになり、ほどほどの自信があれば、新しい見識を追い求めることができる。