地に足をつけて生きろ
あらゆる物事が加速する中で、後れをとらないことはどんどん難しくなっていく。転職も食事も何もかもがスピードアップしていく。ファストフード、スピードデート、パワーナップ、スピードセラピー。生活のほとんどすべての局面で加速が進んでいる。
この加速文化についていくには、適応し続け、個人的にも仕事の面でも成長し続けなくてはならない。このペースについていけない人には対処法として、コーチング、セラピー、マインドフルネス、ポジティブ思考などが処方されている。しかし、あらゆるものが加速する中で方向や時間の感覚は容易く失われてしまう。加速文化においては、自己成長そのものが目的化している。そして自己がすべての中心になり、孤立化していく。
こうした加速文化の中で「地に足をつけて」生き抜くためには、ストア哲学から学ぶことだ。ストア派の教えは、自制心、心の平穏、尊厳、義務感、そして人生の有限性を考察することを教えてくれる。こうした美徳を学ぶことによって、私たちはうわべの成長や変容に惑わされることなく、深い充足感を育むことができる。
- 現代ではポジティブ思考が推奨されるが、ストア派ではネガティブ思考(自分が所有しているものを失ったらどうなるか)を推奨する。
- 現代では常にチャンスのことを考えろと言われるが、ストア派では自分の限界を知って祝福しろと言われる。
- 現代では感じるままに生きることを期待されるが、ストア派は自制心と感情の抑圧を教える。
- 現代では死がタブー視されているが、ストア派では日々己の死を想い、今生きている命に感謝する気持ちを育むことを推奨する。
地に足をつけて生きるための7つのステップ
①己の内面を見つめたりするな
自分らしくあること自体には何の本質的価値もない。それよりも、自分が関わる人々に対する義務を果たすことの中にこそ価値が内在する。義務を果たす上で自分らしくあるかどうかには実質的な意味がない。
自分の内面ばかり見つめないために、ストア派の哲学者たちは「やりたくないことをやる」ことを提案している。自分の気持ちや感覚とは関係なく、やるべきだという理由のあることを実行に移すのだ。これには以下の優れた効果がある。
- 将来訪れるかもしれない試練に立ち向かう力を養うことができる
- 不愉快なことを小規模で体験しておけば、将来の不安への恐れを減らすことができる
- 所有しているもののありがたみを知ることができる
②人生のネガティブにフォーカスしろ
人は弱く、病に倒れ、やがて死ぬ。死を「なんとかする」ことなどできない。しかし人生は死ぬまで続いていく。つまり問題があったら受け入れて生きていくのだ。ネガティブ面に向き合う勇気を持つことだ。
人生のネガティブ面をもっと認められるようになるためには、ストア派のネガティブ・ビジュアリゼーションという技法が有効である。
- 大切な何かや誰かを失うことを考え、それがいかに今の喜びを増すかに気づく
- 自分がいずれ死ぬという事実を考える。この事実を毎日考えることで、生きることのありがたみが増す
③きっぱりと断れ
その価値が脅かされるなら、きっぱりノーと断れる人間は、個人の人格(誠実さ)を持っている。誠実さとは、世間の流行などに流されず、自分自身にとって何よりも大切な考えに忠実に生きることを意味している。ノーという習慣をもっと身につけることが、自分の足で立ち、人生の本質に忠実であることにつながる。
疑念自体に立脚すること、つまり、ためらう権利、考え直す権利を肯定することである。ストア派が推奨するのは、自分自身の理性に訴えることである。
④感情は押し殺せ
ストア派の目標は、ネガティブなことに目を向けながら怒らず、それを人生の一面として受け入れるか、実際にできることがあればポジティブな変化をもたらそうとする能力である。
心の平静を乱し、地に足をつけた行動を妨げる感情は、抑制することを学ばなくてはならない。地に足をつけるためには簡単に歩調を乱されないことが肝要だ。
⑤コーチをクビにしろ
コーチングのコンセプトは、方向性や内容にかかわらず、常に成長と変化を続けることにある。コーチは発展性・積極性・成功を説教する。これはストア派が「地に足をつけることで得られる心の平穏」を礼賛するのと対照的だ。コーチングの危険性は、立ち止まっていることが許されないということである。
⑥小説を読め(自己啓発書や伝記を読むな)
自己啓発書や自叙伝は、人生における最も重要なものとして自己を賛美するものだが、それが誠実さや道徳価値の点からバランスのとれた自己であることは滅多にない。こうした自己を知り、自己を育みさえすれば、人生は自分でコントロールできるという考えを強化する自己中心文献への依存を断ち切ることだ。
⑦過去にこだわれ
自分の過去を知り、それに思いを馳せることは、比較的安定したアイデンティティを維持するための必須条件であり、それは他者との道徳的な関係にもつながる。自分を文化的・歴史的な存在として理解するには過去にこだわらなければならない。そうすることで初めて自分のよって立つところを見つけることができる。