フラーの創業
2011年、大学卒業後にIT系ベンチャー企業で働いた後、23歳の時に4人の友達とフラーを創業した。2010年前後と言えば、スマートフォンの波が来ていた時代。「この小さな板ですべてが完結するようになる。世界中の人が使うようになる。10年に一度の大きな波だ」と感じ、数年先に見据えていた起業を前倒しして、エンジニアやデザイナーの仲間たちに集合の声をかけた。スマホアプリの可能性に賭けたのだ。
フラーという会社は明確なビジョンがある課題解決型の企業として始まったというよりは、先にバスに乗る人だけを決めて、動き出したという自発的な組織だ。創業当初はプログラミングやデザインができる仲間を集めて、ざっくりとスマホアプリの分野でビジネスをする、ということしか決まっていなかった。
筑波大の近くに3LDKのアパートを借り、男5人で寝食を共にしながらアプリを開発する生活を始めた。お金がないので、ご飯は自炊。メンバーそれぞれが必要だと思うことに取り組む日々。それぞれ動いてはいるけど、また形にはなっていない状態が数ヶ月続いた。会社を創業した瞬間は、事業もなくお客さんもおらず、ニートのようなものだった。
創業から半年間は先の見えない生活を送っていたが、2012年の年明け頃、人生を変える一本の電話がかかってきた。朝方、4時くらい。ライフネット生命の創業者で、起業家塾でメンターになってくれた岩瀬さんからだった。「今から、ロンドンに来れるか?」
電話から48時間後、アプリも資料もつくって、ロンドンでプレゼンをした。その場でロンドンの「m8キャピタル」が6000万円を出資してくれることが決定。その後も、岩瀬さんの応援により、実業家で当時「朝日ネット」の社長だった山本公哉さんを紹介してもらい、4000万円の出資を得られ、突然合計1億円が転がり込んできた。
資金調達から約1年、サービスをつくっているだけの時間が続いていた。当然ながら、サービスが収益化するまでは全く売上がない。当時、創業メンバーと話していたことは、アプリをつくっている起業家がものすごく増えているけど、なかなか当たらないよね、ということだった。そこで、みんながアプリをつくるのであれば、アプリのデータを利用する仕組みや、アプリをつくる人たちを支えるサービスが今後は来るのではないか、という発想に至った。
App storeのような「アプリを検索するアプリ」は、その後Appleがルールを更新し、つくることができなくなった。しかし、引き続きアプリのデータを集めるというところで、何かサービスをつくろうと模索していた。そこで目をつけたのが「タスクキラー」という概念だった。
大ヒットしたのは、バッテリー管理アプリ「ぼく、スマホ」だった。このヒットにより、利用者の膨大なデータが集まった。そして、次にフラーが取り組んだのが、集まったデータを加工して必要な人に届けるというウェブサービスだった。これは今もなお、スマホアプリ分析サービス「App Ape」として、フラーの主力事業であり続けている。様々なジャンルのアプリについて、ユーザー数、時間帯別アクティブ率、利用者年代、利用頻度など、アプリ運用にまつわるあらゆるデータを把握できるツール。例えば、ある企業がアプリをつくるという時に、必ずその競合他社のアプリをリサーチする。その時に利用するのだ。
友達経営
起業という、手付かずのものに1から挑戦する環境においては、異なるスキルや性質を持つ仲間が集まって、背中合わせで戦うことが必要だ。そういう意味で友達経営は、人生のある時期を一緒に過ごした経験により、人となりや能力を感覚的に知っている人と働ける。お互いがお互いを必要な人間だと熟知した上で、阿吽の呼吸で補い合うことができるので、変化への対応スピードも速く、また安心感もある。
フラーでは、最初の10人くらいまでは、仕事を分業するということを全くしなかった。それぞれがやるべきことを見つけて、ここぞという時にパフォーマンスを発揮する方が、事業も組織も前に進んでいった。ただ、仕事を分業しなくても、役割分担は明確にしていた。デザイン、意思決定、資金調達とそれぞれ役割があり、その最終責任を各々がとる。
全員が平均的な能力を持つチームよりは、何か1つすごい才能を持っている人が集まるチームの方が、お互いのできないことを補い合えて、かつその才能が1つ1つ輝いて、生かされる。
ミッションが先行する会社だと、その課題を解決するための構成要員として、人が働くという構図になりやすい。しかし、フラーのやり方は、組織がピラミッド型ではなく、それぞれが自律的に考えて行動し、さらに一緒にいたらいいことがあるというもの。社長や上司が指示系統をつくってマイクロマネジメントするのではなく、メンバー各々が仕事に工夫を施し、意思決定していく「ティール組織」に近いのかもしれない。