人類の出現
我々ホモ・サピエンスが出現したのは、およそ25万年前、おそらくは東アフリカにおいてだった。人間と他の生物種を分ける顕著な特徴は、二本足で歩ける、道具の使用、計画性のある狩猟、例外的に大きな脳の発達などが挙げられるが、最も有力な目印は、象徴言語だと考えられている。人間は象徴言語を用いてコミュニケーションをする唯一の存在である。
コミュニケーション方法の精度、効率、幅が突如として増大した結果、人間は自分が学んだ以上の事を他人と共有できるようになった。そのおかげで、知識が失われる以上の速さで蓄積されるようになった。個人や世代が養った洞察は、その個人や世代の死と共に消え去るのではなく、未来の世代へと残せるようになった。
地上に生息する他のすべての生物種は、種全体の遺伝的組成が変わる事でしか行動を向上させる事ができない。しかし人間は、遺伝子の変更を待つ事なく、行動を向上させる事ができる。この「共同学習」という累積的な過程があるからこそ、人間は環境の変化や状況の変化に適応できるという例外的能力を手にしている。
狩猟採集時代
狩猟採集時代は、人類のすべての共同体が、食物を狩猟や採集に頼っていた時代にあたる。食物の栽培や、必要な道具の製作はまだしていなかった。この時代における技術の進歩は、現代人から見るととても遅い。その理由は、小集団に分かれて暮らしていた事と、広い地域間での情報のやり取りが限られていた事にあった。
狩猟採集生活をしていた我らの祖先が発揮した技術面の創造性は、自分達が進化した土地とは大きく異なる土地の探索と移住とを可能にした。10万年ほど前から、人間はアフリカの外への移住を開始した。まずは南西アジアに現生人類の共同体が出現した。そこから東西へと移動し、さらに南に下ってユーラシア大陸の温暖な地域に広がった。ヒトが地球上に広がるにつれて、人口も確実に増加した。3万年前の人口は数十万人だったが、1万年前までには600万人にも増えていたという。
およそ5万年前から、技術面での変化が起こる速度が速くなった。新しい環境への移動が加速するに従い、新しい技術や手法も広まった。2〜3万年前に、弓矢や投槍器も登場した。こうした技術の発展は、最終的に農耕時代へと至る変化を幕を開く。狩猟採集時代が終了したのは、今からおよそ1万年前、最初の農耕民が登場した時の事だ。最終氷河時代が終わりを告げた事が、過去10万年間で初めて農耕を可能にした決定的な事態だった。最終氷河時代の終わりは、世界的な大移動の最終段階とも時期的に一致している。
農耕時代
農耕時代の特徴は、狩猟採集時代や近代に比べて多様性が高い事だった。農耕や牧畜といった新しい技術は新しい生活様式を生み出したが、コミュニケーション技術に限界があったせいで、世界の別の場所は独自の道を辿るほど隔絶されたままだった。よって、いくつか個別の「世界ゾーン」に分ける事ができ、それぞれは紀元前1500年までは互いに重要な接触はなかった。
農耕時代における技術面の変化は集中的なものだった。結果として、人間と家畜は、以前よりも大きくて過密な共同体で暮らすようになった。そういう暮らしをする事で、自分達の生態的な環境と社会的な環境も変えた。その結果が、歴史的変化のペースと変化の本質面の革命だった。
農耕によって生産性が向上した事で、狩猟採集時代よりも人口増加のペースが速まった。必然、それを維持している村落や技術が、農耕が可能なすべての地域へと広がる事になる。世界の人口は1万年前の600万人から、1750年の7億7000万人へと増加した。
農耕が広がり、生産性が高まるにつれて、大きくて人口密度が高く、相互交流のある共同体が成立するようになる。そして、建築、戦争、記録保存、輸送、交易、科学、美術における技術革新が続々と生み出された。