老化の治療に挑むグーグル
ビル・マリスは、2008年からウーバーやネスト、23アンドミーをはじめとする多数の最先端を行く新興企業に数億ドルの資金を投資してきたグーグル・ベンチャーズ社のトップだ。マリスは、アップル会長のアーサー・レビンソンに連絡を取り、自分のアイデアについて話した。彼は老化、あわよくば死そのものまで抑え込む新会社を立ち上げたいと考えていた。
老化のあらゆる症状を、老化という名前で呼ばずにホワイトボードに書き出したとしたら、いずれ死に至る遺伝子異常による病気のように見えることがわかる。科学の力をもってすれば、そのような病気の進行を食い止め、あわよくば以前の状態に戻すことさえできるかもしれない。
マリスが、レイ・カーツワイルに会ったのは、ちょうどそんなことばかりを考えている時だった。カーツワイルは、シンギュラリティを実現させる人工知能が、死の問題をも解決すると信じていた。カーツワイルの意見は、本気で老化に立ち向かう会社を作る時期が来ているというマリスの信念を後押しした。
必要な時間と資金は膨大なものになる。これまで老化の問題に取り組もうとする人間がほとんど出てこなかったのは、時間と金銭の問題が大きいだろう。それに、老化は長らく病気だとみなされてこなかったという現実もある。
2013年9月、グーグルが主な出資者となってキャリコという新会社が設立された。「人生最大の謎の1つである老化に取り組む」というのが設立の謳い文句だった。グーグルからの第一段階の初期投資額は2億5000万ドル。この金はあくまで準備資金で、必要な時に備えて別に5億ドルが用意されていた。これでもまだ半分だ。残りの半分は、製薬パートナーであるアッヴィから出ていた。
科学は死を凌駕しつつある
キャリコのニュースが発表されるとすぐに、シンシア・ケニヨンからレビンソンに連絡があった。彼女は長寿研究の権威で、キャリコの老化研究のすべてを取り仕切ることになった。しっかりしたやり方で、老化という敵をねじ伏せるためのルーツは、シンシア・ケニヨンの研究にあった。
彼女はキャリコ設立よりもはるか昔、革新的で奇妙な発見をしていた。シャーレの中で小さな生物の集団を観察していた時、とっくの昔に死んでいるはずの時間が経過しても、線虫たちが死なずにいたことだ。彼女のチームは、この線虫の集団に対して、インスリン受容体に関連するタンパク質の鍵遺伝子「Daf-2」を変異させていた。
線虫は2万1000個の遺伝子を持ち、DNA塩基対の合計は1億組になる。ここにはたくさんの情報が含まれる。しかし、ケニヨンがこれらの内2個の小さなヌクレオチドを置き換えると、線虫が平均寿命の2倍も長生きするようになったのだ。
生物がどのくらい長く生きるかを根本的に決めている遺伝子が存在するのかもしれない。そして、それらの遺伝子に手を加えることもできるかもしれない。
2016年半ば、キャリコのチームはいくつかの非常に興味深い例を発見した。非常によく似た2種類の動物がいたとして、どちらかが他方よりもはるかに長生きするとしたらどうだろう。オレンジラフィーと呼ばれる魚は、まさにそんな生き物だ。オレンジラフィーは149年生きたという記録が残っている。
ハダカデバネズミもそのような生き物の1つだ。ハダカデバネズミが25歳まで生きることは珍しくない。普通のネズミなら3年生きるのがやっとだ。なぜ寿命にこれほど大きな差があるのだろうか。ハダカデバネズミはNrf2と呼ばれる強力なタンパク質の恩恵を受けている。このタンパク質には、フリーラジカルなどによる酸化によって細胞が受けるダメージを打ち消す作用がある。Nrf2は哺乳類の多くが持っており、人間もその中に含まれる。
あらゆる証拠は進化が重要な遺伝経路をどうにかして変え、種の寿命を延ばしている。進化がそんな方法を見つけられたのなら、科学にも可能なのではないだろうか。
決定的な証拠が出たのは2018年初めの少し前と少し後だ。アーサー・レビンソンは研究所で発見された注目に値する2つの新事実を教えてくれた。どちらも科学の力で老化から逃れる可能性があり、最終的には、若さがいつまでも保たれ、会社の設立目的が達成されるかもしれないということだ。
最初の発見は、ハダカデバネズミが関わっている。発見では、この生き物が疑いの余地なく老化を拒んでいることが明らかになった。キャリコは、その秘密をホモ・サピエンスも分かち合えるのではないかと期待している。
第二の発見は、若さを生み出す方法だ。この研究は、卵子と精子のコミュニケーション方法に関係がある。精子は受精の瞬間を迎える前に、卵子のダメージを受けた細胞を破壊し、卵子に完璧な若さを取り戻し、新しい生命として生まれる準備を整える。この現象は、今のところ線虫とカエルに発見されている。しかし、人間を含むすべての生き物に同じ仕組みが備わっているのではないだろうか。
似たような方法でリソソームを刺激し、老化によってダメージを受けた全身の細胞を切り刻み、心臓も肝臓も筋肉も皮膚も脳も骨も若返らせるような薬を人間が開発できるかもしれないという可能性の扉は開かれた。