ミズノ本 世界で愛される“日本的企業”の秘密

発刊
2021年7月30日
ページ数
288ページ
読了目安
308分
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推薦者

アスリートから愛されるミズノの秘密
スポーツ用品メーカー ミズノの強みや特徴を紹介している一冊。数多くのアスリートから愛されるミズノの企業活動の裏側や、スポーツ以外にも意外なところで展開している事業などが書かれています。

ミズノのはじまり

ミズノの創業は1906年。創業者の水野利八が、弟と共に「水野兄弟商会」を開業したのが起源である。水野利八は、その頃はまだ出生名である「仁吉」と名乗っていた。

水野仁吉は、1884年、現在の岐阜県大垣市に生まれ、若くして下積みのために家を出る。12歳の時に大阪の薬問屋へ、その後16歳の時に京都の織物問屋へ奉公に出た。この時に商才が開花し、17歳で織物問屋の番頭に昇進した。独学で簿記を身につけ、経営陣の一員として活躍していた。この頃、はじめて三高(後の京都大学)の学生たちが野球をやるのを目にして、ハマった。この野球観戦の経験が、今日の「野球のミズノ」につながっている。

 

水野兄弟商会は、兄弟で商品を載せた荷車を引いて、大阪を売り歩くワゴン販売・訪問販売のスタイルだった。靴下やハンカチ、学生向けの洋品雑貨や野球のボールを販売し、ビジネスは順調に成長。1907年には「オーダーメイドの運動服装」の販売を開始し、これがヒットした。スポーツが急激に人々の暮らしの中に普及し始めたタイミングに当たる。

 

最高の品質を求める

水野利八はミズノが成功するためには、品質のいい製品を作り、お客様に信用してもらうことが大切だと考え、材料を仕入れる人にも型紙のデザインをする人にも、縫製を担当する人にも、口を酸っぱくして「ええもんつくんなはれや」と声をかけてまわった。

利八が亡くなった後も、その口癖を忘れることなく、常に最高の品質を求めるために「ええもんつくんなはれや」の頭文字「え」を全国にあるミズノの工場のいたるところに掲示している。

 

機能を追求する

ミズノは売上の約30%が海外で、国内が70%。総合スポーツメーカーなので、より幅広いスポーツと商品をつくっている。施設などの運営や建設も多々行い、街づくりや生活とも距離が近い。

ミズノはスポーツ用具づくりと開発が軸であり、得意なので、スポーツ用品業界では「用具のミズノ」「靴のアシックス」「衣類のデサント」とよく言われている。しかし、ミズノの1番の強みは、幅広くスポーツをやっているところである。

 

ミズノのデザインは機能美。機能を追求したカタチと表現である。ミズノは日本代表のユニフォームを多数手がけているが、国旗のワッペンなどもプリントにすることで「1gでも軽く」を追求する。

 

長期的な付き合いをする

ミズノを語る上で欠かせないキーワードが「長いお付き合い」である。これは契約アスリートに対しても、取引先、外部のパートナーにも当てはまる。

ミズノの地域の営業担当は、今日も日本の隅々の野球少年団などの様子を見に行ったり、大小かかわらず色々な大会に顔を出したりしている。こういったミズノ社員の行動力の中、稀に「地元の逸材」を発掘することもある。その情報は地域のスポーツ用品店・ミズノの地域担当・本社で共有され、未来のスター選手の成長を見つめていくことになる。

総じて他の側面でもミズノは長い時間と積み重ね、細かな仕事や情報を大事にする。一般的にスポーツ用品のブランドは、旬な選手と大きな金額で契約をするイメージがあるが、ミズノの場合、選手の発掘や契約は多くのケースで地道である。

 

選手とミズノの契約は、いくつか異なる形がある。

①物品提供:ミズノが用具だけを提供する。

②社員選手:選手がミズノの社員として給料を受け取る。仕事は練習と試合である。

③アンバサダー契約:ミズノが選手に契約金を支払い、ブランドの大使役になってもらう。

 

ミズノならではの「長いお付き合い」を象徴するのが、選手の現役引退後もアンバサダー契約を継続したり、選手のセカンドライフの支援をすること。普通は引退したら、そこで契約は終了する。

ミズノは元プロアスリートたちと、引退後も「ミズノビクトリークリニック」(小学生の指導)など、講師をお願いするという形で、セカンドライフを応援している。