孤独の世紀
新型コロナで「ソーシャル・リセッション(交流の減少)」が起こる前から、米国の成人の61%は自分を孤独な人間だと考えていた。欧州でも状況は似ている。ドイツでは人口の68%が、孤独を深刻な問題だと考えている。英国では、孤独の問題があまりにも深刻になったため、2018年に孤独大臣というポストが新設された。英国人の15%は、頼りになる親しい友達が1人もいないという。人口の75%が、隣人の名前を知らないとし、労働者の60%は職場で孤独を感じると答えている。アジア、オーストラリア、南アメリカ、アフリカでも、人々が孤独に苦しんでいることを示すデータがある。
数ヶ月にわたるロックダウンと自主隔離、ソーシャル・ディスタンシングは、この問題を不可避的に悪化させてきた。世界中で、人々は孤独で、周囲から切り離されて、孤立していると感じている。
孤独とは
孤独とは、愛や仲間や親密な人間関係が欠如した状態に限らない。また、日常的に交流する人に無視されているとか、相手の目に入っていないとか、大切にされていないという感覚だけでもない。それは、一般市民や雇用主、地域社会、政府の支援やケアがないという感覚でもある。また、他人だけでなく、自分自身からも切り離されている感覚や、政治的・経済的に排除されている感覚も含まれる。つまり、孤独とは人間の内面的な状態であると同時に、存続に関わる個人的、社会的、経済的、政治的な状態でもある。
現代の孤独は、グローバル化や都市化、格差拡大、パワーの非対称によって形を変えてきた。人口動態の変化やモビリティーの高まり、テクノロジーによる破壊、緊縮財政、そして、今、新型コロナウイルスの影響も受けている。それは周囲にいる人とつながりを持つことへの渇望、愛し愛されたいという切望、そして自分に友達がいないと感じる時の悲しさを超える感覚だ。社会の進歩から取り残され、無力で、目に見えない存在で、声がない存在だと感じることが含まれる。
孤独とは、他人を身近に感じたいという欲求と同時に、自分の声に耳を傾けてもらい、自分に目を向けてもらい、気にかけてもらい、行為主体性を持ち、フェアで親切で敬意を持って扱われたいというニーズの表れでもある。
なぜ私たちは「孤独」なのか
私たちが孤独を感じるようになった大きな原因として、スマートフォンとソーシャルメディアの影響が大きい。それらのお陰で、私たちは周囲に目を配らなくなり、人間的に最悪の部分を煽られて周囲に怒りを覚えるようになった。さらには「いいね」やリツイートやフォロワーを求めて演技じみた振る舞いをし、強迫観念に駆られ、思いやりのあるコミュニケーション能力を失ってきた。しかし、スマートフォンとソーシャルメディアは、パズルの2つのピースに過ぎない。現代の孤独危機の原因は無数にあり、多岐にわたる。
構造的かつ制度的な差別は、孤独の大きな原因である。人種差別だけでなく、性差別も孤独感の高まりと関係がある。こうした長年の構造的問題に加えて、孤独をもたらす新しい要因が生まれている。例えば、大都市への移住や、大掛かりなリストラ、ライフスタイルの根本的な変化により、伝統的な意味での「人との関わり」は著しく減った。
その一方で、あらゆる出自の人が集まり、交流し、絆をつくる地域社会のインフラは放棄され、最悪の場合、解体されてきた。これは特に2008年の金融危機後にひどくなり、緊縮政策によって世界中の図書館や公園、遊び場、そしてユースセンターやコミュニティーセンターが大打撃を受けた。
孤独危機の根幹
現代のライフスタイルや、仕事や人間関係の性質、都市やオフィスのデザイン、人と人の接し方、政府による市民の扱い方、スマートフォン依存症、そして人の愛し方、こうしたことすべてが、現代人の孤独を悪化させている。このイデオロギー的な原点は、1980年代に確立した新自由主義にある。これは、自由を極端に重視する冷酷な資本主義の一形態で、現実離れした自助努力と、小さな政府、そして残酷なほど激しい競争を追求し、地域社会や集団の利益よりも個人の利益を上に位置付ける。
この新自由主義が21世紀の孤独危機の根幹をなすのは、次の3つの理由による。
- 所得と富の格差を大幅に拡大し、大多数の人は負け組と感じるようになり、社会的地位が低下した。
- 株主や金融市場が世の中のルールや雇用条件を決めるようになり、労働者が犠牲になった。
- 個人の利益追求を称えることで、人間関係や市民的義務を根本から変えた。
新自由主義による「私がすべて」の自己中心的な社会では、誰も頼りにできないから、自分で自分の面倒を見なくてはいけないと誰もが感じる。社会が孤独になるのは当然である。
そんな中で私たちが孤独を感じないためには、人から奪うだけではなく与え、周囲に気を配り、お互いに親切に振る舞い、敬意を払わなければならない。また、私たちを引き裂こうとする世界で結束するためには、資本主義と公益をもう一度結びつけ、思いやりと協力を中心に据えたコミュニティーをつくり、それを自分とは異なる人たちにも広げる必要がある。