窮屈な日本社会
同調圧力は、功と罪の両方を抱えながら日本社会の隅々にまで深く浸透している。職場では言われなくても周りに合わせて身なりを整えるし、後輩は先輩をみて振る舞いや言葉遣いを学んでいく。また学校や地域の環境がきれいに保たれているのは、周囲の目によるところが大きい。そして先進国の中でも特に治安が良く、災害時などにも秩序正しく行動する日本人の姿は海外からも称賛される。それも厳しい世間の目があるからこそだ。
反面、同僚が休まないと休暇を取りづらいとか、自分の仕事を片付けても周りが残っていると帰りにくいという声は、多くの職場から聞こえてくる。PTAや町内会の役員を割り当てられたら、仕事やプライベートの予定があっても会合や行事に出席しなければならない。
同調圧力には功と罪の両面がある。「功」があるから「罪」が払拭できないし、「功」が大きいほど「罪」も大きい。
同調圧力は大小様々な共同体の中で生じる。同僚同士、クラスメートや地域住民の集まりならともなく、会社が学校、それに国や地方自治体などは本来、共同体ではない。しかし日本では、それらが共同体的な性質を併せ持っていて、レベルの違う共同体が入れ子状態になっている。会社の中には部・課があり、その中にグループがある。そして、一般的には、内側の小さな共同体ほど同調圧力は強くなる。その同調圧力は徐々にエスカレートしていく。しかも、共同体の外の環境が変化しても、内部の同調圧力は弱まらない。
同調圧力の背景にある3つの要因
日本で組織や集団が共同体化し、そこで同調圧力が生まれる要因は3つある。
①閉鎖性
働く場について言えば「終身雇用」「年功序列」「企業別労働組合」によって、社員は定年まで同じ会社で働き続けることが暗黙の前提になっている。会社の傘のもとで職業生活を送っていると人間関係も閉ざされたものになり、地域や外部のサークルなど社外には広がらない。そのため退職すると居場所がなくなるため、ますます会社に依存する。
同じような構図は学校にも見て取れる。閉鎖性は、その他多くの組織にも共通する特徴である。閉鎖的な組織では、いわゆる内部最適が追求され、内部にいるだけで得をする構造になる。その利益を守るため、組織本来の目的が後回しにされる。当然ながら内側から閉鎖性を崩そうという動きは出てこない。
②同質性
日本は欧米などに比べ、民族や宗教、文化的にはるかに同質性が高い。閉鎖的なところに同質性が加わると、いっそう共同体としての性格が強まる。同質的な集団では、メンバーのコンテキスト(背景)が共有される。それが会話の前提になる。しかも同質性が高いほどメンバーの最大公約数が大きくなり、共有すべき規範のハードルが高くなる。
③未分化
日本の企業や役所では課や係といった集団で行う仕事が多く、一人ひとりの分担は明確でない。そのため人事評価にも上司の主観や裁量が入りやすい。それが周囲からの同調圧力を受けやすくしている。集団で行う仕事では相互依存度が高く、誰かがサボると他の人が迷惑するという合理的な理由もある。
組織の中だけでなく社会的にも自己と他者が明確に分化されていない。そのため、例えばコロナ禍のもとで感染を防ぐために自粛が求められると、それが即「他粛」につながる。自分は自分、他人は他人という発想ができないのである。要するに個人が組織や集団の中に溶け込んでしまっているため同調圧力を受けやすい。
同調圧力の正体
冷静な意識に基づく合理的な計算、あるいは他の目的や価値との比較考量を超える社会的な力を生み出すものは「イデオロギー」である。イデオロギーは命令や権力に対する服従というタテの力だけでなく、民衆のある意味で自発的な行動というヨコの力も生む。
組織や集団、さらにその外側の一般社会に存在する同調圧力の背後にも一種のイデオロギーが垣間見える。感情的にも、理念としても共同体を望ましいものとしてとらえ、共同体を積極的に維持・強化しようとする価値観。それを「共同体主義」と呼ぶことができる。
そもそも共同体とそのメンバーとは全面的に利害が一致するわけではないし、メンバーの間でも利害の対立は生じる。にもかかわらず強引に共同体へ同一化させようとするところに、共同体主義の根本的な問題がある。この共同体主義こそが、同調圧力の正体と考えられる。
日本に特有の閉鎖的かつ同質的な共同体型の組織・社会という日本的な構造と、共同体主義というイデオロギーは、相互に影響し合いながら強化されていったと考えられる。