自己流は武器だ。

発刊
2021年6月8日
ページ数
222ページ
読了目安
174分
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なぜ地方の寿司屋は世界一有名な寿司屋になれたのか
Instagramのフォロワー数は13万人超え、世界一有名な寿司屋と言われる照寿司のストーリー。地方にある地元の寿司屋がなぜ、世界中から客がやってくるお店になれたのか。3代目として、寿司屋を継ぎ、これまでの試行錯誤で新たな寿司屋の形をつくった著者の考え方や取り組みが書かれています。

なぜ地方の寿司屋が世界一有名な寿司屋になれたのか

福岡県北九州市の戸畑という町にある「照寿司」は、今年で創業58年目。元々はカウンターと出前だけという町の寿司屋よりも少し格式の高い、地元の人が結納や法事なども行う寿司屋だった。しかし、今ではInstagramのフォロワーが13万人を超え、世界中からお客様がやってくる。「世界一有名な寿司屋」とまで言われるようになった要因は、次の4つが挙げられる。

 

①照寿司が地方である北九州の戸畑という土地にあったこと

2016年に店舗を改装してカウンターだけのお店にする前までは、完全に戸畑の人、戸畑近郊の人のライフスタイルに寄り添う寿司屋だった。田舎の寿司屋の3代目として生まれただけの「何者でもない」という自分の中のコンプレックスが、照寿司を変える原動力になった。自分の哲学があれば、場所なんか関係ない。自分が作り出した空間で、自分にしか握れないオリジナリティのある寿司を体験してもらえばいい。そう思えるようになるために、コンプレックスが必要だった。

 

②SNSとうまくリンクしたこと

照寿司が世界一有名な寿司屋になれたのには、SNSの存在が大きい。Facebookを始めたのは2012年。最近、Facebookが流行っているらしいということで、何も考えずに仕入れた魚やお酒の写真をあげていた。それが今ではFacebookやInstagramを見て世界中からお客様が来てくれる。2015、2016年あたりから、照寿司に来てくれたお客様が、照寿司をタグ付けしてくれるようになった。Instagramが出てきてからは爆発的に人気が出た。照寿司の寿司が自分の顔と一緒に一枚の画角に収まったことにより、写真「映え」したことと、Instagramがほぼ写真だけで見せる形態のSNSだということがうまくリンクした。

 

③照寿司=渡邉貴義というキャラクター作りが成功したこと

みんな自分のことを照寿司と言う。ほとんどの有名店では店名に価値があるが、自分の場合は売れ方が違っていて自分自身に価値がある。ネクタイをやめたり、眼鏡をやめたり、寿司の出し方を変えることで、徐々に照寿司というブランドが完成していった。

 

④劇場型という新しい形の寿司屋を創造したこと

店はカウンター8席のみ。2時間でおまかせのおつまみと寿司を出す照寿司のやり方を、自分で寿司オペラと呼んでいる。写真を撮ってもOKだし、ショーを楽しむ感じでお寿司を楽しめる。つまり、照寿司は、体験を売る寿司屋である。だからこそ世界中からお客様がわざわざ戸畑まで来てくれる。

 

田舎の寿司屋3代目のターニングポイント

最初の重要なターニングポイントが、とある魚屋さんとの出会いである。当時、経営は父の担当で自分は寿司屋の営業時間にカウンターに入る、もしくは裏の調理場を担当する毎日だった。時間にかなり余裕もあったので、食品衛生協会に入会して食品衛生指導員になった。活動の一環で、地元の魚屋やお料理屋さんの管理状態をチェックしに行くという仕事があった。それでたまたま訪れたのが、昔から戸畑にあった梅吉丸という魚屋。その時、たまたま抜群に鮮度のいい関サバを初めて見て驚いた。それからそれまでに見たこともない大きさの車海老やトリ貝、赤貝にも驚いた。すぐ翌日に、照寿司として魚を買いに行った。

 

戸畑でも豊前海や大分の素晴らしい魚が買えるんだと思ったのが、今の照寿司ができる転機だった。それまで、同じ戸畑に住んで寿司屋をやっていても、それまで梅吉丸の存在を知らなかった。照寿司は、それなりの地元の食材を中心に扱っていたし、ネタのほとんどは地元の市場で、大きな魚屋さんが仲介して仕入れていた。小さな魚屋さんには全く目が向いていなかったし、そこからネタを仕入れるという頭さえなかった。

そこから地元の食材探しや、寿司そのものに関する勉強、とにかく寿司にまつわることを吸収することにのめり込み始めた。新鮮なネタを仕入れることができる漁師さんや魚屋さんを探すのももちろん、同時並行で、寿司を特集した書籍や雑誌を読み漁ったり、お酒に関しても勉強を始めた。暇さえあればネットサーフィンをしていた。どこにどんな漁師さんがいて、魚にどんな技法を施していて、といった情報を仕入れていた。魚以外に使えそうな食材のこと、お酒のことも同様だった。

 

Facebookを始めたのもこの頃である。気になる漁師さんのことを雑誌の記事とかホームページで知ったら、すぐにFacebookを通じてコンタクトを取った。自分がやってみたい、やってみたらいいと思うことは、それができる人に伝えてすぐにやってもらう。そんなスタンスで次第に今の照寿司の原形が形成されていった。

 

Facebookでの拡散と、2014年に世界的に有名な飲食店ガイド本の九州版に載ったことが追い風になって、お客様は少しずつ増えていった。