起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男

発刊
2021年1月29日
ページ数
476ページ
読了目安
663分
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リクルートの経営の本質
リクルート創業者、江副浩正の物語。リクルートがどのように創業され、企業が大きく成長していったのか。
起業のアイデアの原点や、人材をマネジメントする手法など、リクルートの経営の本質が描かれています。

リクルートの創業

江副は東京大学に入学し、アルバイトで生計を立てていた。大学2年の時、掲示板を見ていて「月収1万円/東京大学学生新聞会」の掲示が目にとまった。東大新聞の広告取りの仕事、コミッション制で月収1万円とあった。

一般の新聞で大きなスペースを占めているのは映画と求人の広告だ。早速映画館を回ったが、読者の少ない大学新聞など、どこも相手にしてくれない。一方、一般紙に求人広告を出している会社は種々雑多で、どこから手をつけていいかわからない。

ここで江副に後に大きな飛躍となる、ほんの小さな発見の機会が訪れる。経済学部の掲示板の、丸紅飯田の会社説明会が法文一号館で開かれるとの掲示が目にとまった。早速、丸紅飯田の東京支店の人事課を訪ね、東大新聞に説明会の告知広告の掲載をお願いし、即座にOKが出た。この告知広告で大勢の学生が集まり、説明会は盛況で、丸紅飯田の人事課に喜ばれた。

そこから、丸紅飯田のような関西系の企業が、東大新聞の求人広告に殺到した。大卒初任給1万円の時代に、江副は月収20万円を稼いだ。高度経済成長への離陸期を迎え、爆発的な成長を始めた日本企業は、高卒、大卒を問わず膨大な数の新入社員を必要としていた。学生の側も、コネに頼らず自分が働く会社は自分で決めたいという機運が高まった。しかし企業はどうやって学生を集めていいか分からないし、学生もどうやって企業を選んでいいのか分からない。そんな学生と企業を初めて「マッチング」したのが江副だった。

 

仕事は東大新聞以外に、早稲田、慶応、一橋、京大などの他大学の大学新聞を扱うようになり、順調に伸びていった。1960年、「株式会社大学広告」を設立した。1962年、江副は『リクルートブック』、創刊時の名前は『企業への招待』をつくった。「リクナビ」の前身である。江副は「広告だけの本」を無料で学生に配り、求人広告を出した企業からの広告収入だけで回す、という前代未聞のビジネスモデルをつくった。

 

1963年、株式会社大学広告は「日本リクルートセンター」に社名を変更した。日本リクルートセンターは『企業への招待』の大学版と高校版を配布する過程で、全国の大学、高校に配本網を築き上げた。その結果、就職部の職員や先生と太いパイプを持つことになった。日本リクルートセンターは、高校、大学から社会に出る百数十万人に直接アプローチできる唯一の企業だった。

 

社員一人ひとりに当事者意識を持たせる

江副は『リクルートブック』で稼いだ利益を。自社の人材確保に惜しみなく注いだ。工場を持たないリクルートにとって、唯一の生産設備は人材である。採用と教育に法外なカネをかけ、優秀な人材を囲い込んだ。江副は、自分にはない才能を持つ人材を見出し、その人を生かすマネジメントの天才だった。

一方で、シャイな性格で、カリスマ性に欠けていた。そこで、江副はカリスマの「リーダーシップ」に置き換われるものを見出す。それは、社員の「モチベーション」だった。

江副は自分を含めた社員に対して「こうしろ」とは言わない。社員が常々、不満を持っている事業や、自分が「やってみたい」とか「変えなければいけない」を思っている事柄について「君はどうしたいの?」と問いかけるのだ。江副は「それで?」と我慢強く社員の意見を促す。その内社員は、江副が考えていた正解や、それよりも素晴らしいアイデアにたどり着く。そこで江副は畳みかける。「じゃあそれ、君がやってよ」

 

江副の「君はどうしたいの?」の思想は、1974年、会社制度に落とし込まれる。日本リクルートセンターの組織活性化で大きな役割を果たした「PC(プロフィットセンター)制度」である。「PC=拠点別部門会計」によって、会社の中に独立採算の小集団が1600できた。これを江副は「社員皆経営者主義」と呼んだ。

 

『リクルートブック』で全国の学生と企業を仲介する日本リクルートセンターには、人材に関する膨大な情報が蓄積されていた。江副は最も戦闘力の高い学生を、他社の手が付く前に囲い込んだ。東大を筆頭に有名大学を出たバリバリの人材に、江副は求人広告や不動産広告の「ドブ板営業」をやらせた。その代わり、大企業なら雑用しかやらせない20代前半から彼らを管理職に起用し、役員並みの仕事をさせた。元々優秀な人間に、これ以上はない「機会」を与えるので、彼らは凄まじいスピードで成長する。そこに「君はどうしたい?」の社員皆経営者主義が加わる。若者たちはドブ板を踏みつつ「この会社を支えているのは俺だ」と自負していた。