中国の思考家の考え方
西洋では幸福と繁栄のために計画を立てるとなると、理性に頼るよう教えられ、慎重に計算すれば解答に行き着けると誰もが信じている。人生の不確実さに直面しても、感情や偏見を乗り越え、自分の経験を測定可能なデータに落とし込めば、チャンスを自在に操ったり運命に逆らったりできると信じる事で安心を得る。しかし、自分は人生をこう生きていると頭で考えていても、それは実際の自分の生き様ではない。自分はこんな風に決断を下していると頭で考えていても、それは実際の自分の流儀ではない。
中国の思想家は、このようなやり方に限界があると気づき、別の方法を模索した。その答えは、本能を研ぎ澄まし、感情を鍛錬し、たえまない自己修養に励む事にあった。そうすれば、やがて、重大な局面であれ、ありふれた場面であれ、個々の具体的な状況に対して倫理にかなった正しい反応ができるようになると考えた。
あらゆる人に等しく成長の可能性がある
孔子は、人類が繁栄した偉大な時代が、周の初期、自身の在世より500年ほど前に存在したと考えていた。自己を修養し、徳を高め、自分を取り巻く世界をよりよくする事につかのま成功した数人が統治した時代と捉えた。そして、これと同じ事をしようとした。自分の弟子が躍進できるような世界を築こうと試み、弟子の中に、もっと様々な人々が繁栄できる大きな社会秩序を生み出す人物が出てくる事を期待した。
中国の思想家は、みな孔子と似ている。みな一様にあらゆる人に等しく成長の可能性があると確信していた。思想家達は、鍛錬を積む事で極めて現実的で具体的になっていった。世界を変えるために何ができるかに意識を向け、現実的な問いかけから、立派な良い人間になる素質について、刺激的な発見を生んでいった。
礼を通して自分を変える
中国思想家の世界観は、人生のあらゆる局面が人とのとめどない交流も含め、すべて感情に支配されているという観念から生まれた。人間の性向は、他者に感情的に反応する事だ。人と人が出会い、無数の反応の仕方をし、感情を大きく揺さぶられる瞬間がひっきりなしに繰り返される。人のあらゆる出来事は、感情的な経験の世界に方向づけられる。
とはいえ、とめどない遭遇の中で反応に磨きをかけ、局地的に秩序を生み出す事ができる。感情の修養につとめ、他者に対する反応を磨けるようになれば、感情をむき出しにするのではなく、習得したふさわしい形で他者に応じられるようになる。反応を磨く手段は「礼」だ。
自分を変えるためには、通常のあり方を離れる事が、自分の様々な面を育てる事につながると気づかなければならない。礼には変化させる力がある。少しの間私達を別人にしてくれるからだ。礼はつかの間の代替現実をつくり出し、私達はわずかに改変されたいつもの生活に戻される。ほんの一瞬、私達は「かのように」の世界に生きる事になる。そして、それが当たり前の事になり、いつの間に無意識に実行するようになっていく。
重要なのは、あえて別の自分になりきる事だ。二人揃って代替現実に足を踏み入れた事を自覚して、自分の新たな一面を想像する。その体験の積み重ねが、長い時間と共にそれぞれどんな人間になっていくかにも影響を及ぼす。礼を繰り返す事で、各々が自分の多様な側面を開発でき、ひいては人生の他の人間関係をも向上させる事になる。
行動パターンを打破する「かのように」の礼を繰り返す人生を通じて、周りの人に親切にする術を感じ取る能力が身に付く。この能力が「仁」、即ち人間の善性である。仁は他者に対してふさわしい反応ができる感性といえる。細やかな感覚を磨く事で、周りの人のためになるよう行動し、その人達の良い面も引き出せる。
ありのままの自分を受け入れるな
自己実現者の目標は、自己を見つける事であり、内なる真に従って自己の人生を「忠実に」生きる事だとされる。
これが危険なのは、誰もが自分の「真」の姿を見ればそれとわかるはずだと信じ、その真実に従って人生を規定してしまう事にある。自己を定義する事にこだわりすぎると、ごく狭い意味に限定した自己(自分で強み、弱み、得手、不得手だと思っていること)を基盤に未来を築いてしまう恐れがある。中国の思想家なら、これでは自分の可能性のほんの一部しか見ていない事になると言う。私達は、特定の時と場所であらわれる限られた感情だけをもって自分の特徴だと思い込み、それが死ぬまで変わらないものと考えてしまう。人間性を画一的なものと見なした途端、自分の可能性を自ら限定する事になる。
中国の思想家は、人は単一の均質な存在ではないし、そのように捉えるべきではないとする。どの人もみんな複雑で、たえず変化する存在である。いつでも積極的に自分自身をよりよい人間へと成長させる事ができる。中国の思想家が「道」と呼んだ概念は、自分の選択や行動や人間関係によって絶え間なく形づくっていく行路だ。私達は人生の一瞬一瞬で新たに道を生み出している。