「人間がやるべきことは何か」を考える
人工知能が人間を超える瞬間の事を「シンギュラリティ」と名付けられている。シンギュラリティより先は、人工知能が猛烈なスピードでテクノロジーを進化させていくので、人間は世界の将来を予測する事すらできない。
シンギュラリティはまだ訪れていないが、既にコンピュータに取って代わられた人間の仕事はたくさんある。今の社会では、人間がコンピュータを道具として使うのではなく、コンピュータが人間の「上司」のように振る舞っている場面さえある。そういう時代に、人間には一体どんな価値があるのか、人間がコンピュータに対してやるべき事は何か。
「次の世界」に向けて、どんな事を学ぶべきかを考えるのは難しい。ただ基本的には「コンピュータには不得意で人間がやるベき事は何なのか」を模索する事が大事と言える。それは「新奇性」や「オリジナリティ」を持つ仕事であるに違いない。少なくとも、処理能力のスピードや正確さで勝負する分野では、人間はコンピュータに太刀打ちできない。今の世界で「ホワイトカラー」が担っているような仕事は、ほとんどコンピュータに持って行かれる。
人間が持っていてコンピュータが持っていないものは何か
コンピュータになくて人間にあるのは「モチベーション」である。コンピュータには「これがやりたい」という動機がない。目的を与えれば人間には太刀打ちできないスピードと精度でそれを処理するが、それは「やりたくてやっている」訳ではない。今のところ、人間社会をどうしたいか、何を実現したいかといったようなモチベーションは、常に人間の側にある。だから、それさえしっかり持ち実装する手法があれば、今はコンピュータを「使う」側にいられる。
逆に言えば、何かに対する強いモチベーションのない人間は、コンピュータに「使われる」側にしか立てない。スマホという小さな道具の中で、アプリを使いこなして便利に生きているつもりでも、それは誰かが作った「魔法」の世界を見ているに過ぎない。
モチベーションを持ってコンピュータをツールとして使う「魔法をかける人」になれるか、あるいは「魔法をかけられる人」のままになるのか。そこに大きな違いが生まれる。
専門性を磨け
これからは、人間が「人工知能のインターフェイス」として働く事が多くなる。必要な情報は人工知能に与えてもらい、それを顧客に伝えるインターフェイスの部分だけを人間が担当する。
ホワイトカラーは何かを効率良く処理するための「歯車」である。そして、処理能力の高い「歯車」はいずれコンピュータに居場所を奪われてしまう。将来、コンピュータに駆逐されない自立的な仕事をできるようになるには、何でも水準以上にこなせるジェネラリストではなく、専門性を持つスペシャリストになる事が必要である。
資本主義の根底にある原理は「誰も持っていないリソースを独占できる者が勝つ」事である。コンピュータが発達した今、ホワイトカラー的な処理能力は「誰も持っていないリソース」には成り得ない。
勉強ではなく研究を
現在の資本主義社会では「クリエイティブ・クラス(創造的専門性を持った知的労働者)」がホワイトカラーの上位に位置している。彼らには知的な独占的リソースがあるので、資本主義社会で大きな成功を収める事ができる。
クリエイティブ・クラスには、いくら勉強しても、それだけではなれない。クリエイティブ・クラスの人間が解決する問題は、他人から与えられるものではない。彼らの仕事は、まず誰も気づかなかった問題がそこにある事を発見するところから始まる。新しい問題を発見して解決するのは「勉強」ではなく「研究」である。
ロールモデルのないオリジナルな価値を持つ人間になろうとするなら、何かの「魔術師」になるのが一番である。そのためには、他人にはコピーのできない暗黙知を自分の中に貯めていく事が大事である。