人民日報など庶民は読まない
日本では、中国のメディアといえば、一般に「人民日報」や国営通信社の新華社、全国テレビ放送の中央電子台だと思われている。特に1948年に創刊された「人民日報」は、ほぼ唯一海外で手に入る中国の新聞だった。しかし「人民日報」は「党の舌」として中国共産党の主張を伝える事を目的とした刊行物でしかない。「人民日報」は人々が毎朝お金を出して買い求めるような「新聞」ではなく、「読むべき人」の元に届けられる特殊な新聞である。実際には真面目にそれを定期購読し、内容に目を凝らしているのは、熱心な中国共産党員か、日本メディアを始めとする外国メディア関係者くらいだと言われている。
2014年末時点に中国全土で発行されている新聞は1912紙、その合計発行部数は463億9000万部だったという。この内、一般社会のニュースを取り扱う総合新聞は半分以下の823紙。823紙の内、実際に独自取材に夜ニュース記事を掲載しているものはほんの一部であり、発行範囲が狭くなればなるほど国営通信社の新華社や「人民日報」などの記事を転載することで紙面を埋める。そのほとんどが政府機関が発行する機関紙で、「報道」を目的としたものではないからだ。
消費と個を重視する世代の台頭
「70年後」とは1970年代生まれの人達の事で、同様に「80年後」「90年後」はそれぞれ1980年代、1990年代生まれを指す。彼らは中国において全く新しい意識を持つ世代だ。彼らは1990年代に始まった急激な経済成長の真っ只中で、あるいはその恩恵を直接受けながら成長した。彼らは消費と個人所有におけるネイティブ世代である。当時人々を駆り立てていたのは「お金を儲ければ儲けるほど豊かになれる」という意識だった。
70年後以降は「一人っ子世代」であり、その総数に比べて大学入学枠が拡大された事により、世代に占める高学歴者の割合も高まり、個人主義的な傾向がある。彼らは中国において初めて「公」より「個」を強く意識し、自分の能力を賭して主張する世代となった。70年後、80年後、90年後たちは、これまでの中国には存在しなかった「中産階級」を形成し、中国の社会や経済を動かしている。
中産階級の権利の目覚めがメディアを動かす
今の中国は間違いなく、中産階級の「権利の目覚め」と共に変化を続けている。SARSなどの大事件によって目覚めた中産階級達の「知る権利」の契機となったのは、「財経」や「南方都市報」を始めとする古いルールや政府の規制の裏をかき、批判的な報道をするメディアの出現だった。中国の主流機関紙は元々、それぞれの所属機関から捻出される予算で支えられていた。だが、1990年代後半には国有企業の改革が進められ、スリムアップが図られた。メディアの運営資金の調達方法を開放し、営利目的による運営を認められた。こうして多様な市場メディアが登場した。
しかし、社会主義制度下、メディア関係者が実際に目にした事を正式に記事にできない事もまだまだ多い。真実を伝えようと正義感に燃えるジャーナリスト達は、取材中に見知った話を伝える手段をブログに見つける。自分が書いた記事を広く人々に届けるには、インターネットに流すのが手っ取り早い。
政府はメディアの情報を制限している
ネットや携帯電話が登場するまで、プロパガンダや機関紙といった「上から下」のメディア文化が常だった中国において、大衆の参与などありえなかった。テレビを含めてメディア制作の世界は「エリート」が情報や知識を大衆に「下達」する場だった。だが、携帯電話によって、庶民は「エリート文化」に進出した。ブログブームの後、スマホの普及と共に広まったウェイボは、中産階級にとっての社会参加を大きく促進する役目を果たす。
しかし、2011年に起きた高速鉄道脱線事故をきっかけに、政府はウェイボに噴き出す「世論」が社会に与える影響を重視し始め、それをいかに管理するかに力を入れるようになる。