「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている

発刊
2019年10月25日
ページ数
398ページ
読了目安
616分
推薦ポイント 4P
Amazonで購入する

Amazonで購入する

現代社会は本当に豊かさを手に入れたのか
長い人類の歴史の中で、標準的な様式であった狩猟採集社会とはどのようなものだったのか。週15時間しか働かず、必要に足るものだけを得て暮らすことで、豊かさを築いていた文明から現代社会の課題を考えさせる一冊。

ケインズの間違い

1930年の冬、ケインズは「孫の世代の経済的可能性」と題した楽観的な小論を発表した。ケインズは、技術革新と生産性の向上と長期の資本増加によって、誰もが週15時間働くだけで物質的なニーズを満たすことができ、お金や富の蓄積に縛られず自由になって、もっと深い喜びに目を向ける時代がくるといった。彼は、2030年までに、先進国の生活水準は今日の4〜8倍になるだろうと予想した。技術の進歩や生産性の向上については、ケインズは正しかった。1945〜2005年にアメリカの労働生産性は4倍上昇した。

しかし、週15時間の労働時間については、ケインズは間違っていた。ヨーロッパとアメリカでは平均労働時間が週40時間ほどだったのが、この50年間で週30〜35時間に減少したとはいえ、労働時間の減少のペースはかなり緩やかだった。彼の予想の前に立ちはだかった最大の障壁は「懸命に働こうとする、そして新たな富を築こうとする人間の本能」だった。

原初の豊かさ

ケインズの考えでは、経済的ユートピアを実現するカギは、強欲を捨てることだという。現代の私たちとは対照的に、狩猟採取民という世界の全人類で経済的に最も発展しなかった人々が、ケインズが夢見ていた週15時間の労働を、20万年間の歴史の大半で標準的なものとしていた。

狩猟採集生活は、それまで信じられていた不安定なものとは言えない。自然の中での生活は不快でも野蛮でもないし、人々は短命でもなかった。ブッシュマンは、狩猟に加えて野生の果物や木の実、野菜を採って生活していた。彼らは栄養に必要なものを確保するのに週15時間しかかけず、家事に週15〜20時間費やしていた。狩猟採集民は適正栄養量だけの限られた物質的文化に満足し、しかも繁栄していた。彼らの幸福になるための方法は、ほんのわずかな物質的欲求しか持たないことで、そのささやかな欲求を満たすには限られた技術があれば事足り、余計な努力は必要なかった。狩猟採集民はすでに手にしているものより多くを望まないというシンプルな方法によって満足している。

狩猟採集民は人類の進化系統樹の根元となるとされる。彼らは本質的に人類を代表する存在だ。ホモ・サピエンスの20万年の歴史の9割以上が、商業資本主義や農業によって形づくられた訳ではない。狩猟採集はそれほど長い間歴史を刻んできた。狩猟採集は全人類史で発展した経済手法で最も持続可能なシステムとして成功した。

必要最低限のニーズを満たす

ブッシュマンたちは、食べ物を蓄えず、いつも当座必要な分だけの食べ物を集めた。野生の果物が最も多く実る季節でも、その豊かな実りを利用して、季節が変わった時に食べられるように果物を乾燥させるようなこともしなかった。動物を簡単に狩れる時期も、獲物の少ない時に備えて多めに狩って肉を保存することもなかった。これは「即時リターン経済」という。労働努力のほとんどが、次の食事やその夜の寝所など当座の必要を満たすのに重点が置かれる。

一方、季節によって生じる余剰に依存する少数の狩猟社会だけでなく、初期の農業社会から現代の産業社会まで、生産を基盤とする経済を「繰延リターン経済」という。繰延リターン経済では、労働努力は将来の利益を得ることに向けられる。

狩猟採集民が当座の必要を満たすためだけに行動しているのは、必要な時にいつも欲しいものが手に入るという、自然環境に潜む摂理と自身の能力に対する強い信頼があることは間違いない。彼らは食料探しが大変な時でさえ、環境の豊かさへの信頼を決して失わない。そして、食べ物が潤沢にある時には、足る量だけ食べる。必要以上の労力を費やさず、短期的な最低限のニーズを満たすという暮らしを受け入れている。