会社という仕組みで他人の時間を生きるな
同じ時間だけ稼働しているのに「忙しくて大変」と感じる人と「そこまで忙しくない」と感じる人の差はどこにあるのか。その答えは、前者が「他人の時間」を生きる苦しい忙しさである一方、後者は「自分の時間」を生きる楽しい忙しさだからである。「自分の時間」で忙しいことは、むしろ楽しい時間であると感じてしまう。世の中には忙しくて不幸だと感じている人が少なくない。それは「他人の時間」に縛られてしまうからだ。
「会社」という仕組みでは「他人の時間」に縛られることが多い。やりたくもない仕事をさせられ、ただただ給料をもらうため、生活するためだけに仕事をこなす。それでは「楽しい忙しさ」を手に入れることは難しい。
「会社にいれば安泰」という保険には莫大なコストがかかる
2016年の労働人口は6396万人。その内約8割が雇用者と言われる。つまり、日本の大多数の社会人が「会社」という枠組みに属していることになる。嫌々会社に通い、楽しいと思えない仕事ややりたくもない仕事をして、日々を過ごす。どんなに頑張って仕事をしても給料はほとんど上がらない。
高度経済成長期のサラリーマンが退屈なルーチンワークに耐えることができたのは、社会の発展に自分の夢を重ね合わせることができたからだろう。しかし、高度経済成長期が終焉してからは、そういった共同幻想を抱くことはもはや不可能になり、ルーチンワークはただの退屈な仕事でしかなくなった。
「会社にいれば安泰だ」という思いを持っている人が大多数だ。でも、安泰は「楽しい」ものだろうか。楽しくもない仕事を無理してやっているのは、嫌なことをやっているということだ。つまり、安泰と引き換えに、本当は嫌なことをやっている。それでも、人々は安泰を選ぶ。これは、失敗を恐れるがゆえの「保険」をかけるからだ。失敗が怖いからといって「会社にいながら人生を変える」とか「保険をかける」という発想そのものが間違っている。「保険」というのはコストが高いからだ。
「遊び」を仕事にすればいい
AIや技術の発達により、今まで人間がやっていた労働を機械やロボットが肩代わりしてくれる時代は必ずやってくる。単純作業のような仕事はなくなっていき、人間にしかできない仕事の比率が高まっていく。
仕事がなくなるとお金を稼げなくなるので生活に不安を感じている人もいるだろうが、そうなったらもっと好きなことをして仕事をすればいいだけのことだ。技術の進化によって人々の余暇時間が生まれると、「遊び」が仕事になる。別に遊びでなくとも、興味があること、熱中できることであれば何でもいい。仕事は娯楽であり、趣味であり、エンターテインメントであるべきだ。誰かが替わってくれるような仕事なんてあっという間に機械に代替される。
「自分には何もない」なんて嘆かなくていい。人間なんて最初は何もない。とにかく、自分の楽しいと思うことを追いかけ、その中で他人との差別化を行う。ニッチなことであれば、ライバルは少ないし差別化も楽だろう。そして、そこに小さな1を足し続けていく。それが今後到来するであろう「仕事のない世界」においてニッチな市場で実績を出す秘訣だ。
やはり大事なのは行動力。どんなことでも、動き出さなければ始まらない。結局、行動力がある人が成果を出していく。失敗を恐れずに動き出そう。打席数が多ければ多いほどホームランの確率は上がる。