事実で人の意見を変えられるとは限らない
脳は、情報から大きな喜びを得るようにプログラムされている。他人の考えを変えようとする時、デジタル革命の到来は大変好都合なものに思われるかもしれない。大量のデータがいつでも手に入り、高性能のコンピュータが自由に使える今、私たちは分析を重ねて知識を深め、その結果もたらされた正確な情報を共有することができる。
しかし、データや慎重に考え抜いた結論は、人の意見を変える役に立つとは限らない。なぜなら、人の脳は何百万年も前からの産物であるのに対して、大量のデータ、分析ツール、高性能コンピュータが入手しやすくなったのは、ほんの20、30年前のことだからだ。結局のところ、人間がどんなにデータ好きであろうと、脳がそのデータを評価して判断を下す時に用いている価値基準は、私たちの多くが脳はこれを使っているに違いないと信じている価値基準とまったく別物だ。情報や論理を優先したアプローチは、意欲、恐怖、希望、欲望など、私たち人間の中核にあるものを蔑ろにしている。
他人の強固な意見を変えるにはデータは力不足だ。たとえその意見をぐらつかせるような科学的根拠を突きつけられたとしても、人は時に頑として考えを譲らない。
共通の動機を見出す
人は自分の先入観(事前の信念)を裏付ける証拠なら即座に受け入れ、反対の証拠は冷ややかな目で評価する。私たちはしょっちゅう相反する情報にさらされているため、この傾向は両極化の状況を生み出し、それは時を経て情報が増えるたびに広がっていく。
自分の意見を否定するような情報を提供されると、私たちはまったく新しい反論を思いつき、さらに頑なになることもある。今日の社会において、ある意見の信憑性を失わせるデータや証拠を見つけることは、かつてないほど容易くなっている。豊富な情報が得られるようになると、それを使って反対意見を合理的に退け、自説を強化するようになる。
さらに、問題なのは、情報のいいとこ取りに気づかない点だ。情報は人知れずふるいにかけられているため、私たちの目の前に提示されるのは、元々自分が持っていた意見に即したものが多くなる。テクノロジーによって生じるこの確証バイアスを最小限に食い止めるには、インターネット検索やソーシャルメディアが自分の考えに合わせてカスタマイズされることを防ぐ必要がある。
議論の内容が何であれ、まずは相手の気持ちを考慮しなければ意見を変えることはできない。何かを正しいと信じる強い動機の前では、決定的な反対証拠さえ役に立たない。私たちは本能的に、自分が正しく他人が間違っている証拠を大量に抱いて議論に挑もうとしがちだが、それでは袋小路に入り込んでしまう。変化をうまく導くには、共通の動機を見出せばいい。そして、共通の動機を見出したら、メッセージが伝わるよう感情に働きかけることだ。
感情をコントロールする
感情的な反応というのは、身体が何かすごく大変なことが起こっていると言っているようなもので、それに応じた行動を取ることが極めて重要である。人間の脳の大部分は、感情を喚起する出来事を処理し、何かしらの反応をすべく設計されている。
影響を与え合う最も強力な方法の1つが、感情を用いることだ。人は瞬間的に、また無意識の内に絶えず他人の感情を受け入れ、行動に変換する。感情は伝染しやすいため、自分の気持ちを表現することによって他人の心の状態を変容させ、それによって目の前にいる人の視点を自分の視点に近づけやすくなる。