世界はありのままに見ることができない

発刊
2020年9月24日
ページ数
360ページ
読了目安
596分
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私たちは真実を見ることはできない
人間の知覚は進化によって、生存を目的に形作られたものである。そのため、世の中の実在を認識するようにはできていない。自分たちが捉えている世界が、実は人間特有の世界であり、人間の知覚には限界があると解説する一冊。

私たちが知覚しているものと実在は異なる

世界は空間と時間の内部に存在する車や階段やその他の物体から構成されると、私たちは考えている。それらは、私たちのような生物が観察していなくても存在しており、感覚はこの客観的実在に臨む窓に過ぎないと考える。

これらは思い込みに過ぎない。ヘビやリンゴの知覚は、あるいは空間や時間の知覚でさえ、実在を開示するのではない。問題は、特定の細部に対する知覚が誤っているということではない。空間と時間の内部に存在する物体を記述する言語が、実在を記述する言語として不適切なのだ。

私たちの思い込みを打ち砕くおは、自然選択による進化の原理である。進化は、真実を隠して、子孫を生み育てるのに十分なだけ生存するために必要とされる単純なアイコンを表示する感覚作用を私たちに与えた。周囲を見渡した時に知覚する空間は三次元のデスクトップ画面であり、リンゴやヘビやその他の物体は、この三次元デスクトップ画面上のアイコンに過ぎない。それらのアイコンが有用である理由の1つは、実在の持つ複雑さを隠蔽してくれるからだ。感覚は自分が必要としているものを提供するべく進化してきた。知覚は実在に臨む窓ではなく、有用なアイコンという覆いの背後にある実在を隠すインターフェースなのである。

 

私たちの知覚は真実をありのまま見るように進化していない

私たちのほとんどは、通常は実在をありのままに見ていると考える。私たちがリンゴを見るのは、本物のリンゴが存在しているからである。多くの科学者は、それが進化のおかげだと考えている。正確な知覚は適応度を高める。ゆえに自然選択はそれを選考する。そのことは、とりわけホモ・サピエンスのような大きな脳を持つ生物には妥当する。神経学者や知覚の専門家のほとんどは「私たちの知覚はリアルな物体の形や色を回復する、あるいは再構築する」と言う。

だが彼らは正しいのか? 自然選択は真の知覚を選考するのだろうか? 私たちは真実を見るように進化してこなかった可能性はありうるのか?

 

標準的な進化の説明によれば、世界の真の状態が一定でも、利得は大幅に変化しうる。したがって真実を見ることと適応度を見ることは、知覚が取りうる2つの異なる戦略になる。それら2つの戦略は対立する場合もある。よって一方の戦略が優勢になり、他方の戦略を絶滅させうる。

適応度は利得と、各戦略をとる個体の数によって決まる。自然選択の力は、各戦略が選択される頻度に依存する。適応度は世界を映す鏡ではなく、世界の状態、生物の状態、そして各戦略が採用される頻度が関与する複雑なあり方で決定される。

「自然選択は真正な知覚を選考するのか」という問いは、進化ゲーム理論を用いた研究によれば「ノー」と答える。適応は真実に勝る。「真実」戦略はできる限り実在の構造を捉えようとする。他方の「適応度」戦略は実在を全く捉えず、関連する適応度利得に、つまり実在に基づくが、生物ならびにその状態や行動にも依拠する利得に調律されている。すると、適応度戦略は真実戦略を絶滅に追いやる。

 

自然選択はその構造を知覚するようには私たちを形作ってこなかった。そうではなく、適応度ポイントと、それをいかに獲得できるかを知覚するべく形作ったのである。

 

物理主義に基づく存在論を捨てよ

私たちは真の知覚や理想的な知覚を備えているわけではなく、におい、味、色、形、音、触覚、情動など、限られた種類のフォーマットを持つ、十分に機能するインターフェースを受け継いだ。私たちのインターフェースは安価で迅速に機能し、そして子孫を生み育て遺伝子を受け渡すのに十分な程度の適応度情報が得られるよう進化してきた。そのフォーマットは、実在の構造そのものではなく恣意的なものである。同等に、あるいはもっとうまく機能するフォーマット、すなわち別の知覚モードは無数に存在する。しかし、全く見たことがない色を思い浮かべることができないのと同じように、それらの未知の知覚モードを具体的に思い浮かべることはできない。

 

進化は、真実を隠し適応的行動を導くべく私たちの知覚を形作り、時空の内部に存在する物体から構成されるインターフェースを私たちに与えた。そしてこのインターフェースの内部で生じる因果関係を推論する能力を与えてくれた。この推論は概ね当たる。因果関係の把握は、複雑かつ生死がかかった状況のもとで適応度利得がどの程度得られるのかを教えてくれる。私たちはそれを真剣に受け取るし、受け取るべきだ。だがそれはフィクションである。

 

時空と非意識的な物体を基盤とする物理主義は、長く科学の世界を支配してきた。なぜなら、ホモ・サピエンスは時空の内部に存在する物体という、一見もっともらしい言葉で適応度を知覚するからだ。だが物理主義は、量子重力理論や意識と生物学的メカニズムの関係の探求などの、科学におけるいくつかの新たな領域に適合しない。

私たちは、自分たちのインターフェースの限界を実在に対する洞察だと勘違いしてきた。知覚や記憶の能力には限界がある。私たちは物理主義に基づく存在論を捨てなければならない。そして時空や物体が、ホモ・サピエンスによって用いられている知覚インターフェースである点を認識しておかねばならない。時空や物体は一人称の経験なのだ。