教養としてのお金とアート 誰でもわかる「新たな価値のつくり方」

発刊
2020年9月2日
ページ数
312ページ
読了目安
303分
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なぜ価値あるアートが生まれるのか
美術館や教育、流通など、日本のアート業界の仕組みや課題などを紹介しながら、どうすれば日本にアートが浸透するのかについて考えさせる一冊。アートにはどのように価値が生まれるのかなど、アートの基本的なことがわかります。

文明と文化の違い

実用技術は肉体的で文明的である。便利だとか不便だとか、社会生活に必要だったけれども、時が経てばさらなる文明の発展によって廃れることがある。廃れると、そこに懐かしいと感じる心が生まれる。その懐かしさを感じさせるものが出てきた時に初めて、アートの概念が生まれる。そんな懐かしさを含む気持ちが文化である。

そのためには、モノがどこかで一度捨てられないといけない。浮世絵も明治になって山のように捨てられ、残ったものが時間を経てマーケットに出てきたからこそ懐かしさを感じる。この懐かしさに「珍しさ」が加わると「美しい」になる。私たちが美しいと感じる絵は、懐かしさと珍しさを両方備えていることが多い。

 

浮世絵は元々アートではなかった。浮世絵が西洋に流れて、アートだと価値の質的転換が起きた時点から、浮世絵を残そうとする歴史的価値が生まれる。残そうという概念が生まれなければ浮世絵はただの包み紙になり果て、どんどん捨てられてしまう。だからつくられた当時は実用品であっても、長い年月の間に何らかの理由でアートに格上げされると残される。建築物も、最初は事務所として使っていたとか実用物だったが、何年も経っていくうちに味が出て、この様式は滅んでしまったとかで希少価値が上がっていくと、アートとして建築物を見るようになる。

 

文明と文化の違いは、文化は地域の表現だとすると、文明はその中の1つもしくは組み合わせによる普及と言える。今私たちが暮らしている西洋的な近代社会も、元々はどこかの地域の文化だったはずである。

今の世の中はグローバルスタンダートの名のもと、みんなが同じ文明インフラを持つことになった。同じインフラを持つようになると、次は差異を考えるようになる。これが今、資本主義の中で起こっている。近代化によって、そこに暮らす人々は共通性・普遍性である「文明」と、特殊性・地域性である「文化」の違いを考えなければならなくなった。

 

コンテクストがなければ価値が生まれない

絵を見る時には、コードとモードに注目する。コードは歴史的文脈における表現の方法で、描く人の教養の深さが表れる。モードは時代の流行で、描く人のセンスに関わる。このコードとモードの交点が意識されている絵は、時代を超える価値を持つ。

美術の評価には「解説」が大切である。この作品にはどういうコンテクストがあるのかを伝える解説が大事である。その絵が美術史の中でどういう位置にあるのかがわからないと、見ただけでは買えない。コンテクストがないと価値の判断ができないのである。

 

美術では、その基本的な構造を知らないで描いていると、自己満足に陥ってしまう。美術大学で教えなければならないのは、まさに「文明と文化」の違いである。文明の上に乗っかっている文化じゃない限り、公共性の意味はなくなり、「個人の好き嫌い」で終わってしまう。観る教育を大切にしなければ一流のアーティストは育たない。

 

世界が消費社会に突入すると、価格から価額を考えるポップアートが現れた。彼らは価格から価値を逆算して考えるマーケティング的手法をアートに取り入れた。そうすると内容が大衆に理解されやすい表現となる。例えば、村上隆さんは、アニメや漫画など誰でも知っている素材を自分の作品のコンテクストに引用した。すでにあるものをアートに昇華させることで、爆発的に高い価格がついた。

もう1つの方向は、美術史から学ぶ方向である。これは、歴史の文脈に則って誰もやったことがないチャレンジをすることである。美術の近代史には、元々ないものを評価によって価値をつくっていくという世界観がある。その時に、評価の基準になるのは何かという話になるが、基準として作品の価格とか、アーティストの思想とか、美術史とかが勘案される。