学生企業に入る
1986年、バブルの絶頂期だったので、一般的な大学生は勉強以外にもサークル活動や部活動、アルバイトやキャンパスライフを謳歌していたが、自分にはどれも面白そうに思えなかった。その時に、学校の先輩の真田哲弥さんから「学生企業をやるので、手伝わないか」と言われた。何をやるかというと、運転免許合宿の斡旋事業をすると。当時の大学生は車に乗るのが当たり前だった。現在は大学生協が大きなシェアを持っている事業だが、当時は生協も一生懸命やっておらず、運転免許合宿も一般化していなかった。情報誌に広告を出し集客し、大学内の掲示板にポスターや割引券を貼ったり、ゼミの教室を回ってチラシを置いたりした。すると、3人で始めた会社は、1年ちょっと後には10数名に膨れた。大学3年の頃には、親の会社を継ぐのか継がないのかという現実的な課題になる頃になっていたが、学生企業という狂気の中に埋没してしまうと、そちらの方が普通になってしまった。
環境が人間を創る
人間というのは環境の生き物なので「それが普通だ」とか「そうなるべきだ」という風に、環境に置かれてしまうと、だんだんそっちの方が自分にとって「普通」になっていく。そしてだんだん気持ちが良くなってくる。つまり、どんな場に自分がいるかということである。
「普通」というのは、いわゆる社会の平均値ではなく、どんな人と付き合っているか、どんな価値観の人の周りに居るかということが、自分にとっての「普通」になっていく。すなわち所属するコミュニティが自分自身を形成する。
市場が伸びる場所にいる
大学4年になった1989年、真田さんから「今度、アメリカからダイヤルQ2というのがやってくる。それがこれから日本で大流行するから、これで商売を一緒にやろう」と連絡があった。これは通信料金の他に情報料金を課金するというサービスだった。そして、家業を継ぐレールを断ち切り、ダイヤルQ2の事業に参加した。うまくマスコミを使い、様々な媒体に取り上げてもらったことで、露出と事業を伸ばしダイヤルQ2事業と会社は伸びていった。
ダイヤルQ2は、日本中で大ブームとなり、0市場が2年ほどで1000億円市場になった。中でも特に人気だったのは「男女の出会いをマッチングする」ダイヤルサービスだった。しかし、これが社会問題化し、NTTが自主規制に踏み切った。資金の入金サイクルを伸ばされ、資金体力のない会社はあっという間に潰れていった。
新しい市場で勝負せよ
当時、Q2を上手く使って商売している方々の友達がいっぱいできた。そして男女のマッチングを電話回線を使って行う、いわゆる「ツーショットダイヤル」をやっている友達ができた。そこでツーショットダイヤルをやっている人達から広告枠を買ってきて欲しいと頼まれるようになった。そこで、雑誌広告専門の広告代理店を25歳で始めた。この会社は売上が最初からついていた。ツーショットの広告を出していた大手に、エロ本屋グラビア誌なんかに広告枠をとって、それを売る。電通や博報堂は、ツーショットダイヤルの広告を蔑んでいたために参入してこなかった。
ところが1995年に突然限界がきた。ツーショットの広告枠以外は、電通や博報堂の既得権益になっていて広告枠を仕入れることができない。成熟産業では、どんなに頑張っても先に上にいる業界リーダーが業界のルールを作っている。だから、ベンチャーを起こすなら、これから新しい市場を作る側になれる産業を見つけなければいけないということに気づいた。そして、インターネット広告という新しい市場で勝負することにした。インターネット広告の産業は伸びて、その成長の尻馬に乗ったら、会社も勝手に成長した。つまり、追い風をつかむこと、成長の波に乗るというのが、企業の成長において最も重要なことである。