アイリスオーヤマの経営理念 大山健太郎 私の履歴書

発刊
2016年12月8日
ページ数
248ページ
読了目安
199分
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アイリスオーヤマはなぜ成功したのか
園芸用品やペット用品、半透明の収納ケース、家電、LED照明など、数々のヒット商品で成長してきたアイリスオーヤマの物語。戦後どのように会社が大きくなってきたのか、様々な経営体験が語られている一冊。

父の他界で家業を継ぐ

高校3年の夏、父に癌が見つかる。長男の自分が工場を継ぎ、家族を養うしかない。見よう見まねで必死に仕事を覚えた。その年、父が他界。父から継いだプラスチック工場は下請け仕事が大半だった。原料は支給され、要望通りに部品を作って納める。1個数十円の加工賃だけが収入だった。

会社の強みは自分の若さしかないと営業は「すべてイエス」で臨むと決めた。納期、コスト、内容などで他社が断るような注文も積極的に引き受ける。朝8時から夜8時までの操業時間が終わり5人の工員が帰った後、朝まで1人で機械を動かし続けた。午前8時に工員達と交代し、朝ご飯を食べて営業へ。昼は仮眠し夕方に配達、夜は作業。そうしないと自分や家族の生活費がまかなえなかった。

当時はまだプラスチックの成形技術が確立しておらず、自ら生産設備に改良を加えたり、自分なりに設計して鉄工所に頼み形にしてもらった。こうした設備は競争力に優れた。発注は右肩上がりに増え、従業員も増えていった。

下請けからメーカーへ

22歳の時に下請けからメーカーに脱皮すると決めた。大手企業と下請けの関係は隷属という面が強く、我慢できなくなってきた。メーカーになるには独自製品を持たなければならない。アイデアを探すうちに、プラスチック製の養殖用の漁業ブイを開発した。当時のガラス製ブイは割れやすかった。これを足がかりに水産業向けの品揃えを広げたが、輸出用の真珠の需要が縮小し、養殖業者の倒産が相次いだ。次に農業に目をつけ、田植え機に必要な、プラスチック製の育苗箱を開発し、大ヒットした。父の死で会社を継いで8年、当初500万円だった年間売上は7億6000万円まで伸びた。

オイルショックによる倒産危機

宮城県に工場作った翌年、プラスチックの原料である原油の価格が一気に高騰した。1975年の売上は2年前の2倍近い14億7000万円に達した。しかし、この年を頂点に商品は突然売れなくなった。原油価格は当面上がり続けると、皆が在庫を積み増したためだった。間もなく壮絶な値崩れが始まり、売れば売るほど赤字が増えた。問屋は値切り、取引を中止してくる。10年間かけて蓄えた資金は2年間で底をつき、金策に走り回った。そして企業存続のために東大阪の工場を閉鎖した。

どの業界にも、好不況の波が必ずある。好調の時はどんどん人を採用し、不調になると事業を縮小し人を切るのは、自分の目指す経営ではないと思った。「好況の時に儲けることより、不況の時でも利益を出し続けることを大事にする会社」という答えが出た。この姿勢は後にアイリスオーヤマの企業理念の第1条として明文化した。

家庭園芸で需要創造

自社の強みを生かせ、収益性と将来性がありそうな分野を具体的に探す。帝国データバンクから日本企業140万社の経営データを購入、半年かけて丹念にチェックすると園芸用品の2社が目に留まった。地方企業で規模は小が売上高を伸ばしており利益率も高い。従来の植木鉢は素焼きが主で、重くて割れやすくコケも生える。プラスチックなら軽くて丈夫で色もカラフルだ。メッシュの上げ底を備えた植木鉢や、底をすのこ状にしたプランターを開発した。最終的な目標は「需要創造」。マーケットは小さいが、生活が豊かになれば間違いなく大きくなる。DIYの店で、鉢やプランターは、すぐにヒットした。

生活の場こそ最大の研究所だ。こんな物があれば便利だ、こうすれば使い勝手が良いなど、自宅の庭から数々のヒット商品が生まれた。生活者の代弁者として潜在ニーズを顕在化する。そして消費者にとって買いやすい売り場で売る。ビジネスが漁だとすれば、魚のいるところに船を回すのが企業のトップの役割だ。園芸に続くペット用品のヒットで売上高は2年間で2倍以上に増えた。