広島カープがしぶとく愛される理由

発刊
2016年12月22日
ページ数
232ページ
読了目安
250分
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広島カープはなぜ復活したのか
25年振りのセ・リーグ優勝を果たした広島カープ。これまで長い低迷を続けてきたチームがどのようにして復活したのか。なぜ今、ファンを増やしているのかを解説している一冊。

資金に恵まれない地方球団

広島カープの発足は戦後すぐ。原爆によって壊滅的な被害を受けた広島の街から、自分たちの球団を作ろうという声が上がり、1950年にセ・リーグに参加した。最初から、親会社を持たない市民球団だった。他球団と比べると経済的に恵まれない時代が続き、1967年まで18年連続でBクラスに甘んじる。初優勝は1975年。チーム創設から26年目のことだった。この年から10年間の内、リーグ優勝4回、内日本一3回。カープ黄金時代が到来した。

その後、黄金期を支えた選手らの引退により、1991年のリーグ優勝を最後に栄冠から遠ざかる。1993年には、資金に恵まれない地方球団には不利なドラフト逆指名制度、FA制度が導入された。そこで、カープは他球団とはドラフトで競合しない原石のような選手を探し出して指名し、猛練習で育て上げる戦略を採らざるを得なくなった。元々、地方にあって資金が限られていたため、完成された選手よりも荒削りで素質のある選手を見つけ出し、厳しい練習で育て上げるのがチームの文化だった。

 

新たな収入源で復活

ドラフトでもう1人選手を採ったら赤字に転落するような状況が続いていたカープの2007年の最終利益は1700万円。赤字転落は親会社を持たないチームにとって存続の危機だ。球団にとって安定的な収入源だったテレビ放映権料は、地上波での全国放送からプロ野球中継が減っていくことで、30億円以上あったものが10億円台になった。

お金がないから戦力を失い、勝てなくなる。1990年代後半からのカープの低迷は資金難によるところが大きい。そして2013年からのAクラス浮上と2016年の優勝の要因は、新たな資金源をいち早く確立し大きく育てた経営判断の結果と言える。その新たな資金源が、入場料収入と、オリジナルグッズの販売収入だ。

2009年に新球場効果で180万人を超えた観客動員数は150万人を下回ることなく、安定的な入場料収入を球団にもたらしている。これにはマツダスタジアムの「また行くたくなる」仕掛けが大きく貢献している。また、球場に足を運ぶ人に対して、多彩なオリジナルグッズをアピールしているのも大きい。2016年には、入場料収入とグッズ販売収入のいずれも50億円を超えることが確実視されている。放映権収入がやせ細った今、球場へ足を運ぶファンが球団を支えている。

 

新球場を3世代の集う場所に

60、70代になると、野球しか楽しみがなかった時代の人達が多く、その人達が足腰が弱くなっても楽に来られる球場が一番いいんじゃないかというのがあった。専門のアルバイトを常時配置して、車椅子のお客さんのお迎えからエレベーターの乗り降りまで全部やり、レンタル用の車椅子も用意。さらにパーティールームなども作り、野球の好きな人と興味のない人が一緒に楽しめるようにした。そもそもマーケットそのものが小さいから、3世代を絶対に取り込まないといけなかった。3世代、兄弟、家族、小さい子供を連れたママ友、皆が集う場所を作ること、競技場とは違うものを作っていくことが重要だった。

 

カープ女子がどうして増えたのか

カープ女子に多いのは、ファンが選手と同期して一緒に成長するパターン。絶対的な憧れから友人に近い感じになっている。球団の資金的な理由から、図らずもカープの育成方針は、「打つ、守る、投げる」のすべてが揃った完成品の一流人材を採るよりは、そのうちの1つだけでも良いから素質のある人材を採って、2、3年以上かけて磨いていく。この原石を磨いていくというパターンが、友達感覚で「下手でもいい、一生懸命なところを応援したくなる」というカープ女子の心を掴んでいる。

今の時代は「AKB48」などの会いに行ける等身大のスターがもてはやされる時代。ごく一部の人しか知らないような下積み時代から応援して、苦労やチャンスを共有する、そういうパターンに近いのだ。

 

カープ復活の2つの転換点

4半世紀もの間、優勝できなかったチームをファンはなぜ応援しているのか。強い世代を知らない若い女性は、どうしてファンになっているのか。そもそも、球団はセ・リーグで初優勝した1975年以来、41年にわたり黒字経営を続けている。その間、15年間連続で4位以下のBクラスに留まるという、長く暗いトンネルがあったにもかかわらずである。そして、懐具合が厳しいカープが、なぜ復活できたのか。

そこには2つの転換点があった。1つは、年間800〜1000種類を販売するオリジナルグッズ。もう1つは、2009年にオープンしたマツダスタジアムだ。財務面で苦労を続けてきたカープは、この新しい2つの財布を生かして十分に資金を得られるようになり、強くなってきたのである。