200名以上を看取ってきた看護師
訪問看護師、森山文則(48)が、身体の小さな異変に気づいたのは2018年8月。彼の勤務先は、京都で訪問医療を行っている渡辺西賀茂診療所。上賀茂神社のすぐ近くにある、小さな商店街の一角に診療所を構えていた。診療所には訪問診療を行う医師、訪問看護師、ヘルパー、ケアマネージャーらが在籍しており、森山は若手の看護師を指導する立場にあった。
朝のミーティングで、声を張り上げようとすると咳が出る。声も出にくく、胸にある漠然とした違和感が1ヶ月前から続いた。彼はCT検査を受けた。結果はすい臓がんを原発とする肺転移だった。がんは原発がどこかによって生存率が変わってくる。肺のがんがすい臓から転移しているものであれば、森山のがんは既にステージⅣ。5年相対生存率は1.5%だ。
今日を生きよ
在宅医療とは、病気や怪我で通院が困難な人や、退院後も継続して治療が必要な人、自宅での終末医療を望む人などのために、彼らの自宅を医師や看護師が訪問して行う医療だ。森山の仕事は、患者が死を受け入れられるように心を砕き、残された時間を後悔のないように生きるように導くことだった。ここ数年間で彼は200人以上を看取ってきた。週に2、3人。多い時には5人の看取りを経験することもある。
彼は既に自分が終末期に近づきつつあることをわかっているはずだ。しかし、彼の口からは「僕は生きることを考えてます」という言葉が漏れた。彼は死について語るつもりなど毛頭なかった。
「がんになったことによって、時間の進み方や、景色の見え方が変わってくる。素敵なことや幸せなこと、喜びもいっぱいあるのに、若いからってどうして悲劇のように言うのかと。自分の人生の何がわかるのかと。かわいそうとか、大変だとか言う言葉で片付けて欲しくない。そこには長さでは測れない、命の質というものがあるはず。残された時間ではない。それは元々の持ち時間である。
後悔するのではないかという恐れに翻弄される日々ではなく、今ある命というものの輝きを大切にするお手伝いができたらいい。そうしたら、たった3日でも、1週間でも、人生の中では大きな時間となる。そう考えると、残された時間は、もっと密度が濃いものになる」と森山は話し始めた。
スピリチュアル・ペイン
2019年になると、森山は抗がん剤の投与直後に肝機能が悪化し、医師からは肝不全直前だと宣告された。彼は黄疸で顔色が悪く、痩せていた。夜はよく眠れないと憔悴の色を見せた。彼はスピリチュアルな話し方をするようになった。精神世界へと踏み込み、何とか信じ込みたいともがいていた。
病を得ると、人はその困難に何かしらの意味を求めてしまう。自分の痛みの意味、苦しみの意味。人は意味のないことに耐えることができない。だからこそ、自分の生き方を見直してみたくなる。なぜ病になってしまったのだろうか。本当にこの生き方でよかったのか。そして、心も身体も全て委ねる大いなる存在が欲しくなり、それにすがりたくなる。
「在宅で暮らしていても、予後予測をされる。あと1ヶ月、あと1週間と。それは特に家族には大切である。まだ生きていると思ったのに、突然その日が来るとしたら、困るだろう。しかし、死ぬ人と決めつけられて、そういう目で見られる。気持ちや身体のエネルギーなど、医療的な判断をはるかに超えたものがまだまだある。それを引き出してくれるのは、ある種の前向きさとか、覚悟とか、家族とか。そういうもので変わっていくというのはある。あと何日と区切ると、生きる気力やエネルギーを削いでしまう」
なぜ、奇跡に浴する者と、浴しない者がいるのか。治るという信念がまだ足りないから、がんが消えないのか。彼は天から配られたカードの中で、懸命に勝負をしていた。
命の閉じ方
森山は着々と、死に支度をしていった。自分の好きなように過ごし、自分の好きな人と、身体の調子を見ながら、好きなものを食べて、好きな場所に出かける。病院では絶対にできない生活。これが200人以上を看取ってきた森山の選択した最後の日々の過ごし方。抗がん剤をやめた後は、医療や介護の介入もほとんど受けることはなかった。毎日、まるで夏休みの子供のように遊び暮らすのが森山の選択だった。
常々「捨てる看護」を唱え、看護職の枠を超えた人間としてのケアを目指した彼は、西洋医学の専門職を降りて、すべての治療をやめ、家族の中に帰っていった。