なぜか「クセになる」ホテル 東横インの秘密

発刊
2017年5月26日
ページ数
167ページ
読了目安
172分
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東横インはなぜ日本一のホテルチェーンになれたのか
客室数5万室を超える、日本最大のホテルチェーン、東横インの仕組みを紹介した一冊。今やビジネスホテルのスタンダードになっている数々の仕組みを生み出してきた東横インの経営・サービスが紹介されています。

東横インの創業

東横インは、総客室数5万室を超える日本一のホテルチェーンである。東横インは、1986年2月に東京・蒲田に1号店をオープンした。創業者の西田憲正は、電気工事会社の2代目。先代の急逝に伴い、32歳で社長に就任した。ただ、電気工事を請け負っているだけでは頭打ちになるのは明らかだった。何をすれば儲かるかと考え、始めたのがビルの企画・設計。事業は順調に伸び、自らビルを建てて所有するまでになる。そんな時、知人から土地活用を相談されたことがきっかけで、副業として始めたのがビジネスホテルだった。

だが、その数年後に到来したバブル崩壊で、西田は所有していたビルのすべてを手放す窮地に追い込まれる。その時、かろうじて残ったのがホテルだった。土地と建物をオーナーから借りて、ホテルを運営する「大家さん方式」で運営していたためで、以後はホテル業に専念することとなる。

東横インの危機

東横インの魅力は、リーズナブルな料金と清潔な室内。出張客を中心に人気を呼び、1990年代後半から2000年代にかけて、面白いように客室数は伸びた。それまでの安かろう、悪かろうというイメージを打ち破り、新しいビジネスホテルの文化を作りあげた草分けの1つである。

東横インは、かつて厳しい窮地に立たされたことがある。2006年と2008年、二度の不祥事を起こし、創業者が逮捕される事態となり、そこにリーマン・ショックが追い打ちをかけた。客室稼働率は落ち込み、銀行からの短期反復借り入れを返すキャッシュが細り、倒産間際まで追い込まれた。そんな時に、社長を買って出たのが、創業者の長女である黒田麻衣子だった。

年間の平均客室稼働率は2004年度の83.1%をピークに下がり始め、2008年度には初めて70%を割る。2009年度は64.2%と過去最低まで落ち込んだ。皮肉なことに事件前に仕込んでいた店が次々にオープン。稼働率低下には客室が急激に増えたという事情もあった。新店は認知され、地元に根付くまでに平均で2、3年はかかる。また、コンプライアンス違反を犯したことから金融機関との関係も悪化し、新たな融資を受けられなくなるだけでなく、短期で借り入れていた資金もすぐに返済するように迫られ、黒字倒産の危機に陥った。

黒田は低稼働に苦しむ現場の運営に専念した。コスト削減を重視し、人員を抑制したが、サービスレベルが低下し、さらなる客離れが起きた。現場は疲弊し、不満が噴出した。そんな時、父である西田から「とにかく店舗の人間の声を聞け。一方的に指示するのではなく、彼女たち自身に知恵を出してもらえば一生懸命に動いてくれるはずだ」と助言された。そこから、現場との距離が縮まるにつれ、稼働率にも回復の兆しが見え始めた。2014年度には客室稼働率80%を回復。2015年度には総客室数5万質を達成。インバウンドの需要増も影響し、年間の平均客室稼働率は過去最高の85%に到達した。

東横インの秘密

東横インの全店平均価格は6000円程度。都心の一等地でも上限7800円。GWやお盆でも、通常期と比べて大きく料金を変動することがない。リーズナブルな価格で「1人でも多くのお客様に利用してもらう」のがモットーである。

そして、東横インの秘密は安さだけではない。リピート客は途切れないのは、それだけ「顧客満足」が高いからだ。宿泊客が少しでも快適に過ごせるように考えられている。

・駅のホーム等から位置がわかるよう、看板を工夫
・すべての部屋の大きさと間取りを均一にし、いつもと同じ安心感を提供
・無料朝食サービスを業界で先駆けて実施
・会員サービスを作り、常連客を取り込み続けている
・支配人の97.5%を女性にし、細やかな心配りと清潔さを提供