京大式DEEP THINKING

発刊
2017年11月6日
ページ数
203ページ
読了目安
233分
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じっくりと考えるプロセスにこそ価値がある
京都大学のデザイン学教授が、物事を深く考えることについて語った一冊。何事もすぐに答えを見つけることが良いとされる現代において、物事を深く考え、ユニークな考えを導くことにこそ大切であると説いています。

「深く考える」とは

「深く考える」とは「プロセス」であり、必ずしも「最適解」を出すことではない。深く考えれば考えるほど、あれやこれやと様々な要素が入ってくる。答えとは別に「深く考える」ことそのもので生み出される「何か」はあるはずで、これからの時代はそんな思考のプロセスにこそ「真の問題」や「新たな解決法」が隠れていて、価値もある。

「考える」という営みは「recognition=認識」だ。つまり「目の前のものは、すでに自分の中にある概念と同じだ」と認識・確認する作業が、一般的に私たちがしている「考える」作業のほとんどだ。これは目の前のことと、自分の知識の答え合わせみたいなものだ。だから、「考える」だけなら時間はかからない反面、新しい着想は生まれにくい。

一方「深く考える」とは、例えば未知なるものを目にした時、それは何かを、考えて考えて考え抜いた末に、全く新しい概念が自分の中に形作られることだ。また、既知のものであっても、新たな面を見ようと思案する道筋そのものが「深い思考」となり、それによって発想の転換も促される。

深く考えるプロセスの中で、ユニークな発想が生まれる

深く考えて、考えて、既知の知識と照らし合わせて共通項を見つけたりしながら新たな発見を試みる。新たな発見は簡単ではないから、回り道もすれば勘違いもする。従って時間もかかる。しかし、そのプロセスの果てに、ようやく自分の中でこれだという「認知(cognition)」に至る。これが深い思考である。

既存を超える「想定以上の成果」を生むには、どうしても「思考」を途中に挟んで「自分らしさ」を強みとして加えなくてはいけない。深く考えた末に得た答えや着想は、高い確率で「珍しい、変わっている、ユニーク」なものだろう。これらの要素があるからといって「正解」とは限らないが、ユニークな要素とは「価値がある答え」に不可欠なものだ。深い思考とは、「道中(思考そのもの)」に意識を巡らせて「砂利」や「石ころ」をかき集め、そこからまだ誰も見つけていなかったような「ダイヤモンド」を見つける作業と言える。

鉛筆を使うと「深く考える」ことができる

鉛筆は「物との約束」によって文字を書く。PCは「人との約束」によって文字を書く。

鉛筆の芯は書けば書くほど黒い色として紙の上へと移動するから、丸く減っていき、鉛筆は短くなる。これは世界を支配している絶対的なルール「物理現象」である。物理現象は絶対に裏切らないルール「物との約束」事だ。

一方、PCで文字を打つ時、そこには「人との約束」が介在している。キーボードの「A」を打つと「あ」になるというメーカーが設定した「人との約束」。これは、人間が決めたルールに基づいている。「人との約束」は「破られる以前に信じるしかない」みたいな約束で確実性が欠如している。この「人との約束」を知らず知らずに呑んでしまっている状態は、その分思考を省いてしまっており、思考を深める機会も逃している。

「物との約束」に立脚する鉛筆であれば、「人との約束」が介在するPCより「思考の跡」を残しやすく、ユニークな答えにたどり着く可能性が高まる。

PCは思考の痕跡を残さず、結果しか残らない。そして、PC的なアウトプットは「わかりにくい部分」を省略する。しかし、「わかりにくい部分」にこそ、「砂利に混じったダイヤモンド」という深く考えた末のエッセンスが詰まっているものだ。

鉛筆で何かを書きながら考えごとをすると、思考の履歴といっても良い「プロセス」みたいなものが紙に残る。関係ないことが書いてあったり、何かを書いてぐしゃぐしゃと塗りつぶしてあったり、×がしてあったり、書き損じがあったり、書きかけてやめた痕跡があったりする。いわば「思考の連続性」がそのまま残っているのである。結論までの間に浮かぶ連続性のある思考を紙の上に残し、自分の頭の声と向き合うことで思考は深まっていく。