つむじまがりの神経科学講義

発刊
2020年6月5日
ページ数
264ページ
読了目安
316分
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記憶の仕組みを知る
記憶の仕組みについての細胞レベルの解析から解き明かす研究をしている教授の講義。難しい話を抜きに、神経科学、つまり脳の仕組みをわかりやすく解説してくれている一冊。

細胞間の情報伝達の仕組み

ニューロン(神経細胞)間の信号授受(情報リレー)は、伝達物質が分泌され、それを受容体が受け取ることで成立する。このニューロン間の情報伝達の場所を「シナプス」という。伝達物質は、放出された後、プレ細胞(放出側)とポスト細胞(受ける側)の間のすき間を拡散して届く。ニューロンやグリア細胞は、放出された伝達物質をすぐ分解するか回収するかして、素早く無効化する。

神経伝達の多くは多対多である。そして、神経系は回路として働く。プレ細胞とポスト細胞の関係が多対多であれば、神経回路はネットワークとして働く。神経回路は、細胞同士をトンネルでつないでしまうのではなく、プレ細胞の興奮、伝達物質の放出、拡散、受容体への結合、ポスト細胞の興奮という一見非効率な方法をとる。これは、多数のステップを踏むものにして、それらを調節して伝達を強めたり弱めたりすることで、情報の流れを制御し、記憶をつくるためである。

 

経験の強弱で記憶ができる

記憶成立機構の仮説「ヘッブの原理」は、「同時に発火した細胞は互いに結線する」という考えである。これは、同じ情報の入力が入れば、同じ経路が活動して同じ出力を出すという仮説であり、記憶は回路に保存されるとした。この仮説は1949年に提唱されたが、当時はシナプス伝達の強さが経験によって変わる、あるいはシナプス結合は新しく作られうるという証拠がなかったため無視された。

1973年、「シナプス伝達の強さは活動の履歴によって変化する」という論文が発表され、「ヘッブの仮説」は再び注目を集めた。高頻度の刺激によって、シナプスの反応が大きくなる現象はLTP(Long-Term Potentiation)と呼ぶ。LTPは海馬に限らず、他の多くの大脳皮質のシナプスでも起こる。

このLTPは、心理学でいう「短期記憶」ということになる。そして、その後少なくとも数時間は強化状態が保持されることから、長期記憶とみることもできる。LTPは、例えば視覚の長期記憶は視覚野で、言語の長期記憶は言語野といったように脳の様々な領域で起きて、長期記憶の細胞レベルの基盤となっている。

 

海馬によって脳の各部の記憶が時系列に統合される

海馬には海馬固有の長期記憶もある。特定の場所に来ると決まって興奮するニューロンがあり、これを場所細胞という。場所細胞には、道順を問わず空間位置だけに反応するものと、どの経路でそこに来たのか時系列を含むものとがある。したがって、海馬には、時空間情報が保存されているとみることができる。

海馬は、脳全体からみればごく小さな部分であり、海馬自体にストーリーが保存される必要はない。海馬ニューロンは大脳皮質のいろんな場所に軸索を送っている。海馬は、時空間系列だけを保存していて、それにしたがって各投射先に保存された情報を呼び出せば、各情報は時空間順に並び整えられ、ストーリーを再構成できる。

 

記憶の仕組み

LTPは、数秒以内の瞬時に成立する。これにはタンパク質合成は必要ないが、LTPが30分以上維持されるには、タンパク質合成が必要になる。この2相のLTPは、心理学上の「短期記憶」と「長期記憶」で説明される。

私たちの日常の体験では、記憶は繰り返すことで固定される。後期相LTPは繰り返すことで持続する強化状態に移行する。この強化は、既存シナプスでの伝達強化ではなく、シナプス結合自体が増えていくことで生じる。この現象は、RISE(Repetitive LTP-Induced Synaptic Enhancement)と名付けられた。既にあったシナプスが調節を受けたのではなく、新しい神経回路ができたということである。

RISEを起こすのに必要なLTPの繰り返し回数は3回以上で、その3回は前回から3時間以上24時間以内の間隔をあける必要があった。記憶が短期で終わるか長期に残るかの選別は、LTPが単発で終わるか、3回以上繰り返されるかが分かれ目だということになる。

 

シナプスというものは、普段から新しく生じたり消えたりしている。シナプスは常に「出」と「入」しながらほぼ一定の状態にある(ゆらぎ平衡)。RISE刺激(LTP3回)が入ると、まずゆらぎが大きくなり、次に先に「入」が戻るため総数が増える。その後「出」も戻り、総数増加状態で平衡する。RISE発達時のシナプス新生は、こういう確率論的な経過をたどる。こうした確率論的ふるまいは、胎児や乳幼児の脳発達期にシナプス結合がつくられていく時の状況と似ている。

 

RISEは培養海馬切片で起こした現象であり、これこそ記憶の長期化の仕組みだとは、まだ断定はできないため、生体脳でも起きていることを実証する必要がある。