教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン

発刊
2018年3月8日
ページ数
200ページ
読了目安
201分
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テクノロジーと社会について考える
MITメディアラボの所長が、進歩し続けるテクノロジーと社会の関わりについて、解説しながら、現状考えなければならないことを整理している一冊。
AIと人間、ブロックチェーンと資本主義など、テクノロジーと社会のあり方を考えさせます。

テクノロジーはすべてを解決するのか

シリコンバレーには「シンギュラリティ」という独特な考え方が浸透している。これは人工知能が人類の知能を超える転換点を指す。シリコンバレーでは、このシンギュラリティに傾倒する人が後を絶たない。シンギュラリティによって、人類の抱えている問題の全てが解決すると信じている人たちは、ある意味で「シンギュラリティ教」の信者と呼んでもいいかもしれない。彼らにとっては「技術こそすべて」なのである。

シンギュラリティへの期待は、信じる人と信じない人に大きく分かれるものであり、また科学信奉に近いものである。ムーアの法則に基づくコンピュータの進化のスピードは、徐々にスピードが遅くなってきた。コンピュータを支えるシリコンチップも、ほとんど原子と呼べるほど小さなサイズになってきており、根本的に構造を変えなければ、これ以上の劇的な進化を望めない。

技術開発により性能がこのままエクスポネンシャルな成長と遂げるのか、それともS字カーブのように成熟期が来るのか。私たちはテクノロジーの端境期にいる。

アルゴリズムが社会を良くするわけではない

テクノロジーへの安易な期待は、社会の過剰なシンプル化につながる。つまり、「きっとテクノロジーがすべてを解決するはずだ」という発想になりやすく、シリコンバレーの人たちは、自分の目の前に今ある政治や教育などの社会の課題に対して、真剣に向き合う機会が少ない。社会の問題に対して、あまり深く考えず「アルゴリズムさえ良くなれば、コンピュータが全部やってくれるだろう」というのは、とても危険な考えではないか。

なぜなら、こうしたシンギュラリティ信仰に基づく「技術こそすべて」の考え方が、資本主義的な「規模こそすべて」の考え方につながり、本来は社会を良くするためにある「情報技術の発展」や「規模の拡大」が自己目的化して、様々な場所で軋轢や弊害を生み出しているように思えるからである。

AIに仕事が奪われたら、どうすれば良いのか

AIの技術はあらゆるサービスのインフラとして、すでに実用化の域に達しつつある。ディープラーニングによる音声認識機能の飛躍的な向上により、Youtubeは毎日10億本のビデオに字幕を付けている。英語のニュースもワンクリックで日本語に翻訳することができるようになり、言語の壁が壊れつつある。当然、字幕を付けるような人間の仕事は、AIに代替されたといえる。しかし、人間の労働は経済効率だけで語ることはできない。

働くとは、お金をもらって何かをするということなのか。自給自足は働くと呼んでいいのか。働くことがイコールお金ではないように、世の中にはお金ではないが価値のあるものや、お金では決して買えないものも存在する。AIが人間の仕事を奪ったとしても、人間が働くことがなくなるというわけではない。人間はお金のためだけに働くわけではないからである。

こうした考えが、生まれやすい背景には、例えばGDPのように、経済の指標として国家の運営に役立てようという発想がある。産業革命以降の経済発展には、役立ってきたが、情報技術などあらゆるテクノロジーが社会を抜本的に変えつつある現在、どこまでそうした指標が重要かについては議論が必要である。今ほど経済効率や生産性だけではないGDPの測り方が必要とされているタイミングはない。

人生の意味を考えることが必要

生活のためのお金を稼ぐため、経済効率のためという、今まで社会を動かしていたようなロジックは自己目的化しやすい。AIは課題を与えれば解決に向かって動き出すものだが、「人生の意味」を与えてくれるものではない。「生きる意味って何だろう?」と考えられるのが人間である。

「経済的価値を重視して生きることが幸せである」という従来型の資本主義に対して、「自分の生き方の価値を高めるためにどう働けばいいのか」という、新しいセンシビリティを考えるには、面白い時期である。

参考文献・紹介書籍