一千億分の八
異世界に生命はいるのか。この問いに対する人類の想像も、右へ左へと揺れている。何しろ我々はほとんど何も知らないのだ。人類が現時点で最も網羅的な探査を行った地球以外の世界は火星だが、それですら我々の知識は非常に限られている。火星は地球の全陸地とおよそ同じ面積がある。その広大な大地に降り立った探査機はたった7台。走行距離は70km強。これで何がわかるだろうか。
ほんの50年とちょっと前まで、情報を集める手段は望遠鏡しかなかった。やがて、スペクトル分析など新しい観測手法が生まれ、光だけでなく電波でも観測を行うようになって、得られる情報は増えた。間近から様々な観測を行うようになった。人類は太陽系の8つの惑星全てと数十の衛星、小惑星に探査機を送り込み、そのいくつかには着陸し、そしてその2つからサンプルを持ち帰った。それでもなお、現在の人類が得た情報は、知り合って3日目の転校生のようなものである。それだけ宇宙は広く、遠く、人類は非力である。
Are We alone?
宇宙人がいないはずはない。仮に惑星が知的生命を宿している確率を、日本人が東大に入る確率(0.1%)としてみよう。すると、我々の銀河系には数千億の惑星があるから、その中の数億に文明がある計算になる。仮に人がノーベル賞を取る確率(0.0001%)としてみよう。それでも我々の銀河には数万の文明がある計算になる。そして宇宙には数千億の銀河がある。現在とは限らなくとも、現在または未来のどこかの時点で地球外文明が存在する確率は限りなく100%に近いだろう。
地球外知的生命探査は半世紀以上にわたって行われている。電波望遠鏡で宇宙人からの電波を探す試みである。疑わしい信号を受信したことは何度かあったが、確たるものは1つもない。最近の系外惑星探査の急速な進歩は遠くの星にあるハビタブルな惑星の数を観測から直接見積もることを可能にした。さらに生命が存在する惑星の検出にも迫ろうとしている。
系外惑星探査
ハビタブルである可能性のある惑星は銀河に多くあることがわかった。では、どの内どれだけの世界に命は生まれたのだろうか。「ハビタブル」とは英語で居住可能の意味だが、必ずしも命を宿すと限らない。例えば、火星はハビタブル・ゾーンの中にあるが、大気と液体を失い、少なくとも地表には生命の営みはなさそうだ。
系外惑星が生命溢れる世界かどうかを知るために必要なのは「直接撮像」だ。つまり、惑星からの光を直接望遠鏡で捉える事である。現在までに発見されたほぼ全ての惑星は、星の「ふらつき」や「またたき」など、存在の間接的証拠を掴んだに過ぎない。そして、これが技術的に途方もなく難しい。中心の星の明るさに比べて惑星が暗すぎるからだ。
1つの方法は、途方もなく大きな望遠鏡を作る事だ。1つの巨大望遠鏡を作る必要はない。無数の宇宙望遠鏡や地球・月に建設された天文台を連携させる事で仮想的な1つの巨大望遠鏡にすることができる。
もう1つ面白い方法がある。太陽の重力レンズを使う方法だ。アインシュタインの一般相対論に寄れば、重力によって光は曲がる。つまり重力の大きい星はレンズのように働く。ならば、太陽の重力レンズを使えば太陽系サイズの望遠鏡が作れる。そのためには、太陽の重力レンズにより光が集まる点、つまり焦点に宇宙望遠鏡を浮かべればいい。その焦点はおよそ550天文単位から始まる。太陽から冥王星の平均距離の14倍もの距離である。太陽のコロナなどの影響を考えれば、理想的には100天文単位ほど先に行かなくてはならないかもしれない。絶望的に遠く感じるかもしれないが、単位を変えればたったの0.015光年である。系外惑星を持つ惑星まで宇宙船を送るのに比べれば、ほんの近所に行くようなものだ。