シリコンバレーによろしく
大学生の時、フェイスブックの創業ストーリーを描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」を観てから、YouTubeやInstagramなど、日常的に使っているサービスを誰がつくったのか、気になるようになり、シリコンバレーという場所に魅了されることになる。当時、大学を卒業したらどこかに就職し、年齢を重ねて、ようやく面白い仕事ができる未来を描いていたが、その考えが一変した。シリコンバレーに興味を持ち始めてから、スタートアップやテック系のニュースを追うようになった。
シリコンバレーへの思いはくすぶり、語学留学プログラムを見つけ、半年間滞在した。GoogleやAppleのオフィスを見に行き、シリコンバレーの空気を吸うというお上りさんの時間を全力で楽しんだ。帰国してからも、何かしらの形で、シリコンバレーという場所と関わりたいと思いついたのが、シリコンバレーのトレンドをテーマにしたブログを書くことだった。
当時、英語では毎日新しいテックニュースが発信されていたが、日本語で読める情報はごくわずかだった。こうした情報は経営者やスタートアップ関係者など、限られた読者から強い支持を得た。このブログがきっかけになった1つの出会いが、人生を大きく動かしていった。
VCでインターン
ある日、「ブログを読んでいます」というメッセージが届いた。送ってくれたのは、日本のアーリーステージVCであるスカイランドベンチャーズのインターン。彼のおかげで、スカイランドの代表・木下慶彦さんが開くランチ会に呼んでもらえた。当時、まだ駆け出しだったスカイランドは、イーストベンチャーズという別のVCのオフィスを間借りしており、イーストベンチャーズ代表の松山太河さんを紹介してくれた。「シリコンバレーによろしく」というブログを書いていることを伝えると、その場でインターンしないかと提案してくれた。
オフィスに通いながら、太河さんの紹介で様々な人に会わせてもらった。イーストベンチャーズのシェアオフィスには、毎日のようにファウンダーや投資家が出入りし、スタートアップの熱量を肌で感じることができた。「自分も会社を起こそう」と決心するのに、さほど時間はかからなかった。
ただ1つだけ気づいてしまったのは、日本のスタートアップの多くは、そのプロダクトがアメリカで既に存在しているものだったこと。まだこの世に存在しないようなプロダクトが生まれるシリコンバレーに近づきたい気持ちが抑えられず、大学を卒業した直後に渡米することを決めた。
サンフランシスコで起業
小林清剛さんこと「キヨさん」は、アドネットワーク事業を手がけるノボットという会社をKDDIに売却した人物だ。キヨさんは会社売却後、次の挑戦の場を米国に選んだ。渡米後、知り合いの食事会でキヨさんが声をかけてくれた。それから会うたびに「もうこっちで起業するって決めた?」と繰り返し問いかけてきた。そして、起業家として大切なことの多くを、彼から学んでいった。
キヨさんから「アメリカで事業をやるなら、まずは現地のネットワークを広げよう」というアドバイスをもらった。その方法として勧められたのが、アメリカのファウンダーや投資家にインタビューし、関係を築くというアプローチだ。記事をブログに後悔することで、日本の読者に彼らを紹介し、役に立つ。こうしてブログ「テックウォッチ」が生まれた。インタビューの相手には、リンクトインやツイッターから直接メッセージを送りまくった。この活動を通じて、100人以上の起業家や投資家に出会うことができた。その中には、後に出資をしてくれた人もいる。
起業はまずアイデアが大切だ。何に取り組むかでその後の全てが大きく左右される。当時は、AirbnbやUberに代表されるシェアリングやオンデマンド型のマーケットプレイスが一世を風靡していた。最初に辿り着いたのが、「余った民泊の在庫を割引価格で売るマーケットプレイス」というアイデアだった。
資金調達のために、最低限動く簡単なデモをつくってもらい、ピッチデックも見よう見まねでなんとか形にした。太河さんから紹介してもらった縁も活かし、多くのエンジェル投資家に声をかけ、32万ドル集めることができた。そして、キヨさんに相談し、共同創業者となるエンジニアを紹介してもらった。
四六時中働き、物件の在庫獲得に奔走した。しかし、ローンチから数ヶ月経っても、予約の申し込みが「ゼロ」だった。この愛では構造的にも厳しかった。気づけば、売れ残るべくして売れ残った在庫だけが並ぶマーケットプレイスをつくっていた。
最初のプロダクトを畳んでから2年間、様々なアイデアを試した。そして、辿り着いたのが「ホテルに住む」こと。家具や契約、引越しという手間から解放され、宿泊のような手軽さで生活を始められるというサービスだった。