経験デザインとは
従来型のデザイン・プロセスでは、未知の要素を排除し、モノの使用法を細部にわたって決定することと、それによる予測可能性が鍵を握る。デザインは、予測できない人間の行動による「カオス」を生じさせないためにあるからだ。そして、デザインはマニアックなまでに問題解決にこだわる。
だが、経験は解決すべき問題ではない。それは人生そのものだからだ。経験デザイナーは、観客と手を携えて予測不可能なことや未知のものに取り組み、可能性と関係性を生み出す。
すべてのデザインは経験なのだが「モノベースのデザイン」はそれを忘れ、具体的な仕組みや機能ばかりに目を向け、常に問題解決を図ろうとしがちだ。モノのデザイナーは「アフォーダンス」、即ち「デザインによって何ができるようになるか」を強調する。一方、経験デザイナーのアフォーダンスは、ユーザーの人生という幅広い文脈の中で、デザイン要素を捉え、個別の行動の予測よりも経験的な可能性を考えることに注力する。よって経験デザインは、一般的なデザインよりも、実践範囲がはるかに広く、ユーザーとの協力によって実現する「人生という連続体への介入」と考えるべきなのだ。
デザインは、デザイナーとユーザーとのパートナーシップであり、未知のものとの誠実な関わりだ。だから、「謙虚さ」が何より必要になる。
経験デザイナーは、デザインがどう受け止められるかを正確に判断するのが不可能なことをわきまえている。それでも、「ナラティブ」「注意の枠組み」「世界構築」「観客の主観」に注目すれば、提供物を巧みに生み出すことができる。
最初に経験の目的を決める
従来型の「モノベースのデザイン」は、形から始めて内容に進んでいく。一方、経験デザインのプロセスは、まずプロジェクトがもたらす経験の「計画範囲」と「可能性」を決めることから始まる。フェーズ・ゼロは、経験の目的を決め、それを達成するための最良の方法を探すことを目指す。
例えば、家を建てる場合、フェーズ・ゼロで問うべきは「どんな家を建てたいか?」ではなく「どんな人生を築きたいか?」となる。また、プロジェクト全体の目的の他に、物理的・時間的な計画範囲が決定される。
フェーズ・ゼロにおいて、参加者は想像し、リサーチし、デザインを実現するために、どのような連携が求められるかを明らかにする。経験デザイナーは、従来型の「形のち内容」のプロセスをやめて、「経験のち内容のち形」のプロセスをとる。目指す経験がはっきりしたら、次は形である。フェーズ・ゼロでなされる決定は、問題の解決策というよりも、経験的可能性への入り口なのだ。
共感によって相手の内面を理解する
人の頭や心の中は見えないし、内面的にある主観的な経験を完全に知るのは不可能だ。だが、私たちには「共感」というツールがある。共感による理解は、良好な人間関係と強固なコミュニティの根幹であり、多くの意味で極めて人間的な活動である。共感によるデザインは、一方的な押し付けではなく、相互の関係性を重視した「こうあるべきだ」という決まりのない創造活動だ。
共感的リサーチによって重要なのは、他者に対して抱く感情だけではない。それは従来型のリサーチ、体現、関係性、インクルージョン(包摂)、直観を一体化した製作プロセスでもある。他者のためのもの作りが私たちの主観の中で始まり、類似性と相違性を見極めながら他者の意識に入っていく、探究的な作業である。そして、結果として「共感」に辿り着く。共感はツールであり、同時に目的そのものでもある。他者への共感を意図的に生じさせるには、相手の立場で物事を考えなければならない。私たちが「この世界でどう生きているかに対する関心を喚起する」という取り組みこそが、共感を生み出す鍵になる。
経験デザインの関心は観客の「内的経験」にある。経験デザイナーが興味を持つのは、自分のデザインが観客の自己認識、人生のストーリー、安らぎ、喜び、畏れとどう結びつくかということだ。観客がとる行動が目的ではない。人の反応よりも「受け止められ方」の方に価値を置く。
経験は枠組みによって形作られる
共感とは、他者の枠の中に足を踏み入れることである。経験デザイナーは「モノ」よりも前に「枠組み」を考える。
私たちは、目の前の人物の顔、テレビ、音楽など様々なものに注意を向けて、それぞれに枠を当てはめている。そしてその枠の中に深く入り込むと、他の感覚的情報は意識から遠のいていく。ナラティブ経験や審美的経験は、枠の内側に存在する。いくつかは私たちが作るものであり、偶然の産物もあれば、それらの経験をデザインした人によって、生み出されるものもある。
枠によって、注意の向かう先が変わり、経験の範囲も決まる。枠は意識を構造化し、それに関わる主体を再定義するのだ。