WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜

発刊
2018年5月9日
ページ数
270ページ
読了目安
254分
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持続可能なコミュニティはどのように作ればいいのか
『君たちはどう生きるか』『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などを手掛ける編集者が、これからのコミュニティの作り方を論考している一冊。
現代の孤独を癒すには、新しい形のコミュニティが必要だとし、その作り方について紹介されています。

We are lonely, but not alone.

孤独は、周りに人がいるかどうかではない。心のつながりの問題だ。たくさんの人間に囲まれていても、lonelyになる。どうすれば、not aloneになれるのか。

太古から人は、コミュニティを作って生きていた。生きていくのに、コミュニティが重要というのは自明のようだ。しかし、今はコミュニティのあり方が、劇的に変化しようとしている。コミュニティについて考える時、「安心」と「自由」の2つがキーワードとなる。人間は、この2つを欲しがる。しかし、この2つは決して、同時には手に入れられない。安心を得ようとすると、自由が失われるし、自由を得ようとすると、安心を失う。

安心と自由

初めは、村社会があった。誰もが相手の顔と名前が一致していた。引っ越しも職業の選択も自由はほとんどない。同調圧力が強い社会だったが、圧倒的な安全があり、安心があった。高度経済成長期には、核家族を中心とした極小コミュニティと会社コミュニティの2つに人は身を委ねた。村社会に比べたら、生き方の自由度は増したが、安全・安心は減った。そして今、この2つは機能しなくなり始めている。今、私たちは所属しているコミュニティを失いつつある。圧倒的な自由を手に入れて、安全・安心を失っていた。この2つがトレードオフの関係にあることを、理解している人は少なかった。孤独の中で得る自由と引き換えに安全・安心を失った人たちは、不安の闇に突き落とされる。

自由と安心、両方を得ることは不可能なのか?

「not alone」そんな気持ちを持たせてくれるのは、コミュニティだけだ。今までの物理的な必然性で生まれたコミュニティではなく、インターネットの中で「好き」を中心にしてできたコミュニティに可能性がある。インターネットの力は、自由と安心、両方をもたらしうるのではないか。

インターネットは幸福をもたらすか

「奴隷の幸福」という言葉があるように、私たちは型にハマり、役割を半ば強制的に与えられる方が楽で、居心地がいい。型にハマることを教えられてきた私たちは、その型から解き放たれ、心のよりどころがなくなり、不安を感じている。しかし、インターネットによる変化は不可逆だ。

では、インターネットの何が、人を不幸せにしているのか。キーワードは情報の爆発と可視化だ。情報量が圧倒的に増えると、それぞれの人が違う情報に触れる。他人が触れている情報に触れず、自分だけの情報を取り続けて、多様な価値観がどんどん強化されていく。

そして、情報が爆発すると、どの情報を信頼すればいいかわからなくなる。整理されていない情報に触れると、人は自分で情報を選択するという責任を背負う。その自由すぎる故の責任の重さは、多くの人を不安にし、不幸にする。今は多くの人が情報の爆発に対応できていない。情報の種類が限定されると、そこに健全なコミュニティができて、その中の口コミを信頼するようになる。情報を減らす仕組みができ、どのコミュニティに入るかだけを意思決定する仕組みができると、人は情報爆発に対応できるようになるのではないか。

SNSは、オープンであればあるほど、安全・安心は確保されない。リアルな空間で、安全・安心を確保するためにやっている工夫を、ネットにも取り入れることが重要だ。ネット空間にリアルと同じような身体性を持たせないと、安心な空間が生まれない。ネットの自由さを享受しながら安心を得るためには、クローズドなコミュニティをネット上に作る必要がある。