知ってるつもり――無知の科学

発刊
2018年4月4日
ページ数
320ページ
読了目安
547分
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我々は思った以上に物事を知らない
人はなぜ、自分の知識を過大評価するのか。人は思った以上に物事を理解していない。人間の思考のプロセスや特徴を解説しながら、人間の認識について示唆を与える一冊。

知性は個体ではなく、集団に宿る

認知科学の影の部分に目を向けると、人間の能力がおよそ考えられているようなものではなく、どこまでやれるか、何ができるかは大抵の人にとって極めて限られていることを示す研究結果が溢れている。個人が処理できる情報量には重大な制約がある。そして、個人の知識は驚くほど浅く、この真に複雑な世界の表面をかすったぐらいであるにもかかわらず、大抵は自分がどれほどわかっていないかを認識していない。

人間の知性は、大量の情報を保持するように設計されたコンピュータとは違う。知性は、新たな状況下での意思決定に最も役立つ情報だけを抽出するように進化した、柔軟な問題解決装置である。その結果、私たちは頭の中に、世界についての詳細な情報をわずかしか保持しない。知性は個体の脳の中ではなく、集団的頭脳の中に宿っている。個人は生きていくために、自らの知識だけでなく、他の場所、例えば自らの身体、環境、他の人々の知識を頼る。そうした知識をすべて足し合わせると、人間の思考は感嘆すべきものになる。

知識の錯覚

一見単純そうに思えるものを含めて、物事の多くは複雑である。人間は自分が思っているより無知である。私たちは、実際にはわずかな理解しか持ち合わせていないのに物事の仕組みを理解しているという錯覚を抱く。

すべてを理解することは不可能である。私たちは曖昧できちんと整理されていない抽象的知識に頼っている。実際、ほとんどの知識は連想、つまりモノや人との間の高次なつながりの寄せ集めに過ぎず、詳細なストーリーとしてわかりやすく説明できるものではない。

知性は物事の要点だけを捉え、詳細情報を忘れる

思考は、有効な行動をとる能力の延長として進化した。目的を達成するために必要なことを、より的確にできるようになるために進化した。思考することで、それぞれの行動の効果を予測したり、過去に別の行動をとっていたら状況はどのように変わっていたかを想像したりすることができ、その結果様々な選択肢の中から有効なものを選べるようになる。

最適な行動を選ぶ上で因果関係が重要であるにもかかわらず、なぜ世界の仕組みについて個人の詳細な知識はこれほど限られているのか。それは、思考プロセスは必要な情報だけを抽出し、それ以外をすべて除去するのに長けているからである。私たちの認識システムはその要点や本質的な意味だけを抽出しにかかり、それ以外はすべて忘れる。私たちの知性は、新たなモノや状況に対応できるように、経験から学び、一般化するようにできている。新たな状況で行動するためには、個別具体的な詳細情報ではなく、世界がどのような仕組みで動くのか、そのおおもとにある規則性だけを理解しておけばいい。

人は自分の頭の内と外にある知識を錯覚する

私たちは他の人々の頭の中にある膨大な量の知識にアクセスできる。だから人は協力する。技術や知識を簡単に共有できるのは、社会集団で暮らすことの大きなメリットだ。私たちが自分の頭にある知識と、他の人々の頭の中にある知識を区別できないのも不思議ではない。なぜならどんな作業をする時も、大抵両方使うからだ。思考の性質として、入手できる知識はそれが自らの脳の内側にあろうが外側にあろうが、シームレスに活用するようにできている。私たちが知識の錯覚の中に生きているのは、自らの頭の内と外にある知識の間に明確な線引きができないためだ。それができないのは、そもそも明確な線など存在しないためである。だから自分が知らないことを知らない、ということが往々にしてある。