人はなぜ記憶するのか 脳と自己の科学

発刊
2025年12月3日
ページ数
336ページ
読了目安
453分
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人間の記憶のメカニズム
記憶研究の第一人者が、記憶のメカニズムを解説している一冊。
人間はなぜ物事を忘れるのか、そもそもなぜ人間は記憶するのかなど、人間の脳が進化によって獲得してきた記憶の能力のことを理解することができます。

記憶のメカニズムを理解することで、大切な経験を記憶しておくために必要なことがわかります。

脳は忘れるようにできている

人間の脳は「新皮質」という組織に外側を覆われていて、その組織はどの領域も大量の「ニューロン」でできている。ニューロンは特殊化した細胞であり、外界から取り込まれた感覚情報に関するメッセージを脳の様々な領域に運んでいる。

ニューロンの働きは民主主義に似ている。1個のニューロンの果たす役割はわずかでしかなく、それは脳神経がどういう種類の計算をする場合も変わらない。民主主義では個別の課題を進めるために政治家同士が手を組むが、ニューロンも似たようなグループをつくって脳内の仕事をこなす。このグループを「セル・アセンブリ」と呼ぶ。脳活動も適切なコネクションを持つことが大事になる。

 

思い出したい記憶に辿り着くには正しいニューロン連合へ至る道を見つけなければならない。にもかかわらず、今は必要でない別の記憶を支持するニューロン連合と競合することが少なくない。これを「干渉」と呼ぶ。私たちが日々の暮らしで物忘れをするのはこの干渉が犯人である場合が多い。干渉を避ける上で大切なのは、競合を撃退できるような記憶を形成することである。

 

記憶とは丸めた紙切れの散らかった机のようなものである。散らかった心の中で記憶を目立たせておくためには、「注意」と「意図」が必要になる。注意とは、私たちが見るもの、聞くもの、考えていることに優先順位をつけるための脳ならではのやり方だ。どんな時でも私たちは周囲で起きている様々な事象に注意を向けることができる。しかし、私たちの注意は環境の中にある色々な物事につかまえられやすい。

ここで出番になるのが「意図」だ。あとで見つけやすい記憶を形成するには、意図の力で注意を導いて具体的な物事に固定させる必要がある。脳には何度も行う物事に対しては自然と注意を払わなくなる傾向がある。ささやかな意図を持つことを心がければ、その傾向を食い止められ、干渉してくる雑音に負けない際立った記憶を築ける。

 

私たちは、過去をつなぎとめてくれるものが記憶だと考えがちだが、単に過去の経験をしまっておくだけが、脳の仕事ではない。周囲の状況を理解して複雑な世の中を渡っていくには、その目的に役立つ情報を優先させる必要がある。脳内にはそういうプロセスがあり、そのプロセスが働いた結果として忘れるという現象が起きる。

 

人はなぜ記憶するのか

人間には大きく異なる2種類の記憶がある。1つは過去の出来事に関する記憶であり、私たちはそれを振り返れるだけでなく再体験までできる。これを「エピソード記憶」と呼ぶ。もう1つは世界に関する事実や知識を思い出せる能力であり「意味記憶」と呼ぶ。1つの出来事を想起するエピソード記憶には、心の中で特定の場所と時間に戻る能力がある。一方、意味記憶には過去に学んだことを様々な文脈で使える能力が求められる。

エピソード記憶は単なる想起を超えたものだ。今の私たちが何者かは過去の瞬間瞬間によってつくりあげられており、いつしか消え去るその瞬間と私たちをエピソード記憶がつないでいるのである。

 

人間が素早く賢く学習できるのは、エピソード記憶と意味記憶が分かれているからである。人間は過去の経験から一般的な知識を引き出すのが得意であり、それを用いて未来の状況を想定したり推測したりすることができる。しかも、私たちは機械と違って、例外に遭遇するたびにつまずくことがない。それはエピソード記憶も持っているからだ。エピソード記憶は個々の出来事を別個のものとして保存して索引をつけているので、例外を学習しても混乱しない。私たちは、意味記憶とエピソード記憶の両方を携えているおかげで、原則も例外もどちらも素早く学習できるのだ。

 

エピソード記憶は脳の海馬に依存している。セル・アセンブリは脳の別々の領域にあって、普通は会話をしない。しかし海馬はこれらの領域の多くと接続を持っていて、所定の瞬間に活性化する様々なセル・アセンブリへのリンクを保存している。海馬のおかげで、私たちは様々な出来事の記憶へと飛ぶ「索引」をつくることができる。

エピソード記憶はただ単に過去にアクセスできるだけではない。私たちが現実を知覚する時の基本は、今自分の存在する時間と空間を正しく認識できることであり、そのためには直近の過去を思い出さねばならないことが多い。ある有名な仮説によれば、自分が世界のどこにいるかを学習する基本的な能力からエピソード記憶が進化したという。その能力は生き残る上で極めて大事であることがわかっている。

 

時間旅行の能力を人間の脳が進化させたのは、特筆すべき経験から学ぶためだ。過去の文脈に旅すると、現在に対する見方を改めさせるような経験にアクセスできる。ネガティブな出来事の記憶を蘇らせれば、かつて学んだ過去の教訓を思い起こす機会になり、それが現在においてより良い決断を下す役に立つ。