ビル・ゲイツ自伝1 SOURCE CODE 起動

発刊
2025年12月12日
ページ数
400ページ
読了目安
653分
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マイクロソフトの創業物語
ビル・ゲイツが学生時代に幸運にもプログラミングと出会い、コンピュータ黎明期に先駆けて、コードを書いていたこと、そこからマイクロソフトの創業につながる出来事などが書かれています。

世界で最初に販売された個人用のコンピュータ「アルテア8800」向けに、ソフトウェアを提供したことで、その後コンピュータが普及していく中で、大きく成長していったマイクロソフトの原点が書かれています。

コンピュータを使えた幸運

ケント、ポール、リック、僕の4人はレイクサイドという同じ学校に通っていて、そこには生徒が電話回線で大型汎用コンピュータへ接続できる設備があった。当時はティーンエイジャーがコンピュータを使えるのはとても珍しかった。4人とも夢中になり、自由時間をすべて費やして徐々に洗練されたプログラムを書くようになっていき、この電子機器でできることを探っていた。

レイクサイドは、シアトルの比較的裕福な家庭の少年が通う進学校だ。学校は7年生と8年生の中等部と9年生から12年生までの高等部に分かれていた。クラスには50人ほどの男子がいて、ほとんどが白人だった。その父親たちは、弁護士、医師、銀行家、林産製品企業の幹部、ボーイング社の技術者など、シアトルのエリートたちである。

 

1968年にコンピュータを使えたのは、性質の異なる様々なことがたまたま重なったおかげだ。端末を手に入れてくれた教師と保護者の思い切った決断、電話回線でコンピュータを共有できるようになっていた思いがけない幸運に加えて、この奇跡が可能になったのは、ダートマス大学の2人の教授がBASICプログラミング言語を生み出していたからである。当時、誕生してわずか4年だったBASICは、専門知識のない学生がコンピュータ・プログラミングを始められるようにつくられた。

 

レイクサイドの他の子供たちが勉強やスポーツをしたり、教会へ行ったり眠ったりしている時に、僕らは高価で高性能なコンピュータを無料で使って遊んでいた。自由にコンピュータを使えたこの時期が僕ら4人にとって特別だった。ケントと僕は8年生で、ポールとリックはまだ15歳の10年生だ。本格的にコンピュータを使った経験は誰もなかった。

 

最初の報酬

1970年秋、学校は新興のタイムシェアリング企業と契約を結んだ。ISIという会社で、時間あたりの使用料ははるかに高額だった。当時、僕らはハッキングし、無料でアクセスする方法を見つけた。そして、当然、それを活用する前にばれた。それからISIは僕らに仕事をくれた。ISIのクライアントの給与システムのプログラムを無償で書くことを依頼してきた。報酬はコンピュータの無料使用時間だ。3ヶ月で終わると思っていたプロジェクトに9ヶ月かけた後、ようやく完成にこぎつけた。

 

コンピュータの無料使用時間をもらえたのもうれしかったが、初めてのソフトウェア製品を完成させられたことも単純にうれしくてたまらなかった。税金も社会保障制度も、給与支払いの基本は何も知らずに仕事に取りかかった。その1年後には、コンピュータ端末がある中規模企業の管理職なら誰でも、僕らのプログラムを使って200人なり1000人なりの従業員の給料支払い小切手を正確に切れるようになったのだ。完璧なプログラムではなく、洗練されてもいなかったが、とにかく動いた。報酬までもらった。これが最初の一歩になった。その秋、僕らは他の可能性を求めてあらゆる手を尽くした。

 

マイクロソフトの誕生

1974 年12月初旬、ポールが部屋に飛び込んできた。『ポピュラー・エレクトロニクス』という雑誌を手に押し付ける。「一家に一台コンピュータがある時代。MITSのアルテア8800は本格的なコンピュータであり、現在市場に出ている高性能ミニコンピュータに引けを取らない。400ドル未満という価格はカラーテレビと変わらない」と記されている。

記事は、ソフトウェアにはほとんど触れていなかった。おそらく存在しないのだろう。アルテアの製造元は聞いたことのない会社だった。MITSという模型ロケット用電子機器と計算機のメーカーである。MITSに電話して、アルテア用のBASICは完成間近なので、一度見てもらいたいと説明して、面会の約束を取り付けた。

 

最初のパーソナルコンピュータのための最初のソフトウェアが誕生した。MITSは、今すぐこのBASICインタプリタの使用許諾が欲しいと告げた。このソフトウェアがあれば、アルテアを有用なコンピュータへ変身させられる。そうすれば、さらなる需要を掘り起こせるだろう。

1つ決めなければならなかったのが、僕らが共同経営する会社の名前だ。ポールが、マイクロコンピュータ用のソフトウェアを書いているのだから、この2つの言葉を組み合わせたらどうだろうと思いついた。そうして名前が決まった。マイクロ=ソフト。

 

パーソナルコンピュータがどんどん安くなり、会社や家庭に普及していくにつれて、高品質ソフトウェアの需要もほぼ無限に広がるだろう。パーソナルコンピュータ用のOSをつくれば、いつの日かマイクロ=ソフトは僕らが「ソフトウェア工場」と呼ぶものになるはずだ。当時、ソフトウェア企業は存在しなかった。

 

参考文献・紹介書籍