頑張るだけが努力ではない
努力を語る上で「目標」は欠かすことのできないピースだ。目標なくして努力はない。そして、目標が高ければ高いほど、努力すべき行為の範囲は増え、目標が低いほど努力は限定的になる。つまり、目標をどう定めるかによって、努力のバリエーションは全く異なる。
目標が低ければ、バリエーションは限られ、あとはそれらをどれだけ愚直にやり切るかの勝負になる。一方、目標が高い場合、努力のバリエーションは無数に出てくるため、ただ闇雲に何かに励むのではなく、どの努力を優先するか、どこまで努力するかといったポイントも含めて論点になる。単に汗をかいて頑張るだけが努力ではない。考えることも含めて、多くの行為の組み合わせが必要になる。
私たちはレイヤーの異なる多種多様な頑張りをひとまとめにして「努力」という一言で片付けてしまうが、努力は4つに分類することができ、4階建ての建物に見立てることができる。
①量の努力(1階)
目標達成のために決めたことを繰り返し、回数を重ねてやり切る行為。何かを達成するためには、小さなことをコツコツ積み重ねていくことは重要である。
②質の努力(2階)
行動した結果や他者からのフィードバックから学びながら、どのように行動を改善していくかを考えていく行為。成功者の多くは、ただ時間をかけて量をこなすだけではなく、時間効率のよい「意図的な練習」を行っている。意図的な練習とは、次の4つの要素が確保された練習をいう。
- はっきりと定義された明確な目標
- 集中状態の維持
- 第三者からのフィードバック
- コンフォートゾーンから抜け出したプレッシャー環境
③設計の努力(3階)
目標に立ち返って俯瞰的な思考を深める行為。具体的に注力している行為を俯瞰し、その他のオプションを洗い出し、リソース配分を考えなければならない。
④選択の努力(4階)
そもそもの目標を選ぶ行為。その目標が自分にとって相応しくなければ、勇気を持って適切な目標を再選択する必要がある。目標を他者から一方的に与えられる環境に長くいると、「選択の努力」の存在を忘れてしまうことがある。
努力という建物は、1階はオープンだが、上の階に行くほどに到達できる人が限られてくる。ただ、人は上層の努力だけをすることはできない。ある程度、量をこなさないと、質を考えることはできないし、設計を考えることも難しい。
努力は報われるのか
努力がもたらす報酬には「目標から外れたもの」や「時間差でやってくるもの」が含まれる。努力のアウトプットとしての報酬は「目標との距離」と「時間」を掛け合わせて、次の4つの類型に分けられる。
①即座の目標通りの報酬(即座×目標通り)
②即座の目標から外れた報酬(即座×目標から外れた)
③時間差で得る目標通りの報酬(やがて×目標通り)
④時間差で得る目標から外れた報酬(やがて×目標から外れた)
「努力は必ず報われる」と断言する人は、「時間差で得る目標から外れた報酬」まで含めている。一方で、「努力が報われるとは限らない」という人は、「即座の目標通りの報酬」だけを報酬と見なしている。
報酬は多様に存在する。しかし、何かを真剣に望む人は報酬を絞り込まなくてはならない。「努力は報われるのか?」という問いは、客観視している人ほど「報酬」の定義は広く、真剣に頑張る当事者であるほど狭くなる。報酬も立場によって、その定義の広さが変わるからこそ、努力持論はすれ違う。
9つの代表的な努力神話
私たちは、努力と報酬の関係性も、その因果関係を正確には答えることはできない。だからこそ、無自覚に神話を当てはめながら会話している。これらの努力神話は、縦軸に「努力と報酬の相関の強さ」、横軸に「不確実性の大きさ」をおいた3×3=9種類に分類される。
- 自動販売機型神話:努力と報酬は比例関係にあり、努力した分だけ必ず報われる
- ガチャガチャ型神話:何が返ってくるからはわからないが、基本的に努力と報酬は比例している
- 農業型神話:努力と報酬は比例関係にあるが、そこには外的要因が大きく作用する
- 階段型神話:努力すればある程度含まれるが、そのプロセスは階段状に進んでいく
- ホッケースティック型:努力と報酬は最終的には帳尻が合うが、どこに至るプロセスは期待通りにはいかない
- 予選・本選型神話:予選のステージまでは努力と報酬は比例するが、その先は読めない
- 空型神話:努力や報酬など明確なものは存在しない
- 職人型神話:どれだけ努力をしても報酬は一定となる
- 宝くじ神話:努力と報酬は全く関係ない
私たちは文脈によって採用する神話を無自覚に変えている。だから努力を語るのは難しい。努力を考える時に大切なのは、努力に対して、どの神話を採用し、どんな報酬を期待しているかを俯瞰的に捉えることである。