「いいアイデア」が「いい創作」になるわけではない
まとめられたインタビューのテキストでは「いいアイデア」があったから創作ができたかのように構成される。結果、「いいアイデアの出し方のコツ」がわかれば、「いい創作」ができるかのように錯覚させる。みんな「原因があって結果がある」というふうに単純化して考えたがる。
しかし、これは大間違いだ。「いいアイデア」が「いい創作」になるわけではない。そもそも「こんなことどうやって思いつくんだ」と思わせるアイデアは、乱暴な現場の偶然性がきっかけになって生まれる。その「偶然」を再現しようとしても無駄だ。
きっかけはあらゆるところにある。肝心なのは、いいアイデアを見つけようとしないことだ。きっかけは種であり、種の時点でいいか悪いかわからない。「いいアイデア」なんてくそくらえだと思っていた方がいい。「いいアイデア」だとみんなが思うようなアイデアは、みんな考えているからだ。「そんなものアイデアにならない」と言って、誰もが見捨てるものをすくいあげ、育てていくことで、オリジナルなものが芽生える。
アイデアは閃くのではなく、育てるもの
ダメなアイデアをたくさん抱えて、ゆっくりと見守るのだ。アイデアの種は一旦放っておく。この段階をイメージビルディングと呼ぶ。頭の中でどんどん組み立てていく。構想していく。像を描き出す。実際につくると時間がかかるが、頭の中なら一瞬だ。
アイデアは閃くのではなくて、育てるものだ。アイデアが閃く瞬間は、創作のキーではない。アイデアは、まず育てる種を見つけることから始まる。日々、何を見ても「ゲームにならないか?」と考える。シャワーを浴びると「このシャワーの穴の大きさと数と水の勢いの関係ってゲームになりそう」と考える。そのバカバカしい思いつきから始まる。
アイデアの生態系を手入れする
1000個考えて、その内100個メモして、その内10個を実際につくってみて、最終的に1個が残る。「1000個」は「たくさん」という意味だと思われるが、実際には1000個以上考える。但し、1000個考えるのは「いいアイデア」ではなく、むしろ「ダメなアイデア」だ。駄案こそが大切だ。アイデアにボツはない。アイデアは、森のように存在する。アイデアの種があって芽が出る。
アイデアは、それぞれ個別ではなく、お互いに絡み合っている生態系だ。いかに森をつくるか、日々手入れするかが、アイデアを出すために大切なアクションになる。「アイデアが出る」というのは、その日々の手入れの結果でしかない。たくさんのアイデアを出し、検討し、比べ、絡め合わせることで、アイデアの森をつくり、そこから豊かな何かを生み出すことが大切である。
紙に書き出す
紙に書き出すことは重要だ。とにかくたくさんのアイデアを一望できるようにし、そのアイデアを貼り替えて、位置を変え、関係性を変えながら、ネットワーク状に結びつきを変えていく。
物理的に、いつもいる場所に存在していて、何の気なしに眺められることが大切だ。A4サイズのコピー用紙にキーワードを一気に書き出す方法は、しょっちゅうやっている。特にテーマがなくても、「最近気になっているもの」を書き出したりしている。コツは、5分間のタイムリミット付きで60個以上のキーワードを書き出すことだ。とにかくスピードを重視する。タイムリミットと書き出す数の目標がないと、ついつい考えてしまい「いいアイデア」を書こうとしてしまう。考えずに手を動かし、自己検閲していない内側から出てきたものが、案外、何かに結びつくことも多い。
書棚もアイデアのメモのような存在だ。背表紙が見え、本を眺めることで「読んだ内容」を想起する。アイデアの断片の中に埋もれて生活することで、アイデアが育っていく。
創作は対象とのインタラクション
創作は対象との相互作用だ。ゲームのルールを考えている時は、自分がそのルールに対してアクションを起こし、アクションされたルールがこちらに跳ね返ってアクションしてくる。好き勝手にルールを変えることができるわけではない。物語をつくる時も同じだ。世界像やプロットは、その一部だけを変えることが難しくなる。どこかを変えれば、それは他のことに影響を与え、さざ波が拡がるように他の部分を変えていく。
自分からのアクションで、対象が変わり、変わった対象から自分に向かってアクションが返ってくる。対象からのアクションで、自分自身が揺さぶられ、変わっていく。変わった自分が再び対象にアクションする。ものづくりをやっていく過程で、自分自身が、創作の対象に向かって成長していかなければならないのだ。