古着を燃やさないまち
人口約32万人の地方都市、福島県いわき市は「古着を燃やさないまち」と呼ばれている。市役所、銀行、スーパーといった市内13ヶ所に置かれた回収ボックスで衣類を回収。年間250トンを超える古着を、有償のボランティアスタッフで選別、古着の販売から様々な用途でのリサイクルまで、様々な「出口」をつくることで、回収品のリサイクル率は90%近くを達成している。
このリサイクルの仕組みが行き渡るまでの変化は、数名のボランティアサークルから始まった。きっかけは、いわき市が1990年に派遣した海外視察団「第一回いわき女性の翼」。メインテーマは、当時問題視されるようになり始めていた女性の社会参画の機会創出だった。派遣先では、用意された研修の他にも、街角で見かける資源ごみ用のリサイクルボックスなど、様々な気づきと学びがあった。この学びを社会に還元したいと思うメンバーが集まって、1990年に生まれたのが「特定非営利活動法人ザ・ピープル」だった。
当時はようやくリサイクルという言葉が定着し始めた頃。活動の一環で市民に対してゴミ問題に関するアンケート調査を実施したところ、燃えるゴミに出しているけど、もったいないと思っているものは圧倒的に古着だった。
古着を集めるにあたって、悩んだのが「どこで」「どうやって」集めるのか。最初の回収拠点には、地元の福島銀行小名浜支店に協力してもらった。そして回収した古着は地域内の古物商に買い取ってもらう、というシンプルな「出口」を設定し、活動を始めた。
実際にスタートしてみると、週に一度、銀行に立ち寄って回収するくらいでは到底対応できないほどの量の古着が集まった。そのまま古物商に渡してしまうのは惜しいような状態の良いものがたくさん含まれており、自分たちでチャリティバザーを開くようになった。バザー開催を繰り返し、手応えを感じ始めた頃に、街中に衣類の販売店を開設し、ザ・ピープルの大きな柱となる古着販売事業が育っていった。
「古着は寄付だ」という意識づけ
ザ・ピープルの活動は、徐々に地域内でのリユース販売にウエイトを置く常設店舗の運営、収益金の社会還元を目指す障がい者小規模作業所の併設、さらに海外支援事業の展開へとつながっていった。
当時は無償のボランティアを募り古着リサイクル活動を維持しようとしていたが、古着の不良在庫が山となる状況を前に、無償で日常の業務を支え続けることには限界があると考えるようになった。地域の公共施設やスーパーなどに古着回収ボックスが設置された頃には、回収される古着は年間10トン超。もはや、主婦の集まりが無償のボランティアで維持できるレベルではなかった。辞めていくメンバーを見送ることになり、スタッフの有償化に踏み切った。
古着の回収という行為が、まちに定着するまでには、様々な難関があった。その中でも、回収ボックスで市民から古着を集めるという仕組みを磨き続けてきたことが、まちの「当たり前」になり、市民の意識を変えてきた。
市民の側が「ゴミを出す」という感覚のままでは、回収してもリサイクルにつながらない。市民の側が、出す前に選択をしてくれたり、きれいな状態のものを出してくれる。この流れを生み出したのが回収ボックスの改修だった。古着は「資源ごみ」ではなく、「寄付」だということを、様々なシーンで発信し続けてきた。これを30年近く愚直に繰り返してきたことで、古着は寄付であるという意識が市民に根付いていった。
古着リユースの事業収入で活動
2000年以降、地域内に回収した古着の「出口」部分を担う連携先を失い、古着リサイクル事業をいかに継続するかが課題になった。バブル経済崩壊以降、地域経済が悪化し、地域の古物商が故繊維の取り扱いを停止し、逆に処理費用を要求されるという事態に見舞われることになった。
現在、回収される古着は年間約260トン。その90%近くを地域内外のルートを駆使しながらリサイクルし、社会へ資源として戻している。そのための手法は様々で、長い活動時間をかけて編み出してきたルートの組み合わせである。
- 状態の良い古着は地域内でリユース販売。市内に常設ショップを運営
- 木綿の多く含まれる素材を工業用ウエス(雑巾)の材料として活用
- 活用手段のない古着は「反毛」という工程で繊維の状態に戻し、内装材として活用
- 海外で生活困窮者や災害被災者に対する支援品として活用
- リメイク品の素材として活用
ザ・ピープルの様々な活動を継続する上での力の源は、集まってきてくれる仲間たちの存在と、古着のリユース販売によって得られる事業収益だった。通常の市民活動団体では、自主財源として事業収入を持つことが難しく、会費や補助金に依存せざるを得ないことも多い。何か社会的に意義のある事業を行おうとしても財源が確保できずに着手できないことは起こり得る。