家族
生まれたのは世界恐慌で世の中が大混乱していた1931年、場所は米イリノイ州の最大都市シカゴ。アル・カポネらギャングが暗躍していた時期だ。父母は共にウクライナからの移民。お金もほとんど持たず、英語も話す事ができずにアメリカの地を踏んだという。兄弟は3人共に学者。なぜ、移民の両親から3人の学者が生まれたのかは分からない。共に小学校しか出ておらず、米国に移り住んでからはクリーニング業で懸命に生計を立て、その後、魚屋を開いてささやかな暮らしを営んでいた。
青年時代
子供の頃から今に至っても変わらない事がある。それは、偉業を達成した人のニュースに触れると、決まって自分も同じ事がしたくなるという事だ。
高校生にもなると自分の行く末について考えるようになる。ユダヤ系移民の子供は、大抵「医者、弁護士、技術者の3つから選べ」と言われる。だが、どうしても3つとも魅力を感じる事ができず、腕のいい会計士になる事を決めた。経済について、よく学べるし、安定した収入が見込めそうな職業だったのが理由だ。
影響を受けた本
選んだのがシカゴの名門、デポール大学だった。奨学金を全額出してくれるのも決め手の1つだが、会計と法律を同時に学べ、この組み合わせがビジネス界で尊敬されていたからだ。ただ、大学2年生になったあたりから「何かが足りない」と思うようになっていた。もっと幅広い教育を受け、本質的な思想を見つけるべきだと考えた。
マーケティングに関する考え方に最も大きな影響を及ぼした本をあえて選ぶとすればジークムント・フロイトの『幻想の未来/文化への不満』だろう。これはフロイトの初期の作品で、本能的性欲動の源泉、自我、超自我がどのように私達の人格や欲求を形成するのかを考察している。
4つのP
デポール大で2年過ごした後、シカゴ大学に奨学金付きで入学。経済学修士を取得した20代半ばに目指す道は明確になっていた。一流の大学で経済学教授として卓越した業績を残す事が目標だ。
MITで経済学の博士号を手にした後、ハーバード大学で高等数学を学ぶ。ここで専門分野にマーケティングを選んだ。その理由は市場や価格決定メカニズムが本当にどのように機能するのか知りたかったからだ。それまでの経済学は需要と供給によって価格が決定されるプロセスを抽象的に表現、分析していたが、満足していなかった。マーケティングは生産者から卸売会社を経て小売業に至るまでに価格が実際にどのように決定され、企業の広告や販売促進などで需要曲線がどのようにシフトするかを分析する応用経済学の1つなのだ。
そもそもマーケティングという言葉が専門書に登場するのは1910年頃になってからだ。当時の経済学者は商品の売買の成立が需要と供給と価格だけで決まるのではなく、流通機構や広告宣伝などの経済活動を見逃してきた事に気付き、問題意識が芽生えたのだった。マーケティング学の歴史はここから始まった。経済学者がまず指摘したのは、需要に影響を及ぼすのは価格だけではなく、広告、営業戦力、セールス・プロモーションなども重要であるという事だ。次に市場活動には卸売業、流通業、小売業、仲買人、代理店、広告代理店、市場調査会社、広報会社など多様な組織が携わっている事も指摘した。
ハーバード大学でのマーケティングのプログラムに加わり、多くの素晴らしい研究者たちと出会う事になる。「4つのP(製品、価格、場所、販売促進)」を最初に提唱したジェリー・マッカーシーも一緒に机を並べていた。この4つのPを様々な分野に活用、実践した。企業のマーケティング部門は次第に4つのPを網羅するマーケティング計画を策定する役割を与えられるようになった。
ハーバード大学での1年が終わり、ノースウェスタン大学経営大学院で教壇に立つ事になった。経済学を教える事より「マーケティング理論や実践の研究に人生を懸ける」のが出した結論だった。
マーケティングの未来
企業は100年以上にわたり、顧客の企業や製品に対するイメージをコントロールし、マス・コミュニケーションの力を利用し、企業に対する顧客の考え方や知識を意のままに形づくってきた。
だがデジタル世界の爆発的成長と共に、そうしたマーケティングの世界は終焉を迎えつつある。今日の消費者は友人とのチャットやインターネットを通じて、企業や製品について様々な知識を得る。また小売店を店というよりショールームと見なし、店頭では品物の価格をスマートフォンで見つけた最安値に合わせて欲しいと交渉する。
このように今日の企業は、ブランド構築のプロセスを自らコントロールできなくなってしまった。ブランドは次第に消費者がつくるようになっている。今でも30秒のスポット広告を通じて消費者にある程度の影響を及ぼす事はできる。だが10年後には、企業はコミュニケーション予算の半分をソーシャル・メディアに費やすようになると見ている。
優れたマーケティングというのは、コミュニケーションにとどまらない。マーケティング最大の目的は、顧客の人生に付加価値をもたらす事だ。マーケティング活動は顧客満足に関わるすべての要因に関与しなければならない。製品とその特徴、価格、入手しやすさや付帯サービスなど、すべてに影響を及ぼすのだ。
マーケティングは、他の部門に伝統的な機能を奪われつつある。かつてはマーケティングの機能と見られていたものが、今では別の専門家集団に委ねられるようになった。新製品開発は研究開発、製品開発部門に、イノベーションはオペレーション部門に、メディアはオペレーション・リサーチ部門に。チャネルはロジスティクス、サプライチェーン部門に、市場戦略は戦略部門に、サービスはカスタマー・サービス部門に、データ・マイニングはITおよびコンピュータ科学部門にといった具合だ。そうなると、マーケティング部門に残るのは次の機能だけだ。
①コミュニケーション
②価格決定
③ブランディングと差異化
④消費者行動