問いの編集力 思考の「はじまり」を探究する

発刊
2024年9月20日
ページ数
224ページ
読了目安
286分
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思考のはじまり「問い」を生み出すための方法
「問いはどのようにして生まれるのか」がテーマの一冊。
物事を考える際の最初は「問い」から始まる。この問うという行為を自ら自覚的に行うことができれば、様々なアイデアを生み出したり、新しい物事を発見することができるとし、そのための方法を解説しています

問いが生まれ出るプロセスを以下の4つのプロセスに整理し、その中で、どのようにすれば問う力を身につけられるのかが書かれています。
「問い」の土壌をほぐす→「問い」のタネを集める→「問い」を発芽させる→「問い」が結像する

子供の頃には当たり前に持っていた好奇心を取り戻し、思考をめぐらせるために必要な内容が書かれており、自分の視野を広げたり、新しく物事を考えるために役に立ちます。

「問い」の土壌をほぐす

自覚できないほどの微細で複雑な記憶の群れが、今この瞬間も刻々と進む思考を支えている。自ら問う力は、たくさんの思考や記憶のかけらの複雑なつながりの中から芽吹いてくる。問う力を育むには、まず「私」という強固な枠組みを緩ませる必要がある。考える主体としての「私」は、常に何かの目的にさらされていて、無駄を省きたがり、想像力の幅を狭めてしまう。ふと湧いた好奇心やちょっとした違和感、取るに足りない好み、妙に引っかかる記憶など、合理性のもとでは捨てられてしまいかねない雑多な思考のかけらを伸び伸びとさせてやることが、想像力の土壌には大事である。

 

物事を大きく変化させ動かしていくのは、常に落差やズレ、矛盾や葛藤だ。そこには場面に応じた「たくさんの私」が存在する。この「たくさんの私」に向き合い、確固たる主語としての「私」ではなく、どうとでもなりうる述語としての「私」を重視することで、「たくさんの私」を自分の中に発見することができる。

 

内面が少しほぐれたところで、今度は「私」が「世界」と接しているその接面を柔らかくする。「ここ/向こう」「ウチ/ソト」という境界をどこに見るかということは、世界認識において大事な問題である。少し「境界」を動かしてみるだけで潜んでいた「異物」が顔を出し、それまで考えてもみなかった問題や機会に出会したりする。時折、それぞれの境界に意識を向けてみるといい。その上で、内側と外側、ここと向こうを見ていく。自分の視点をどちらにも自在に置けるようにしておく。

 

「問い」のタネを集める

生物は、常に自分の周囲にある情報を探し、ピックアップし、取捨選択しながら生きている。その探索は大抵、無意識で行われる。意識的にせよ無意識的にせよ、人の認識は常に注意から始まり、「何かが他と違っている」ことに注目したところから、思考が始まる。この注意の向かう先「注意のカーソル」の動きに自覚的になることが大切である。

 

注意のカーソルは常に、デノテーション(外示作用)とコノテーション(内示作用)の両方を読み取りながら動いている。デノテーションは直接的で外事的な意味にあたる。コノテーションはその言葉や行間に含まれている暗示的・連想的な意味を指す。

自分の注意のカーソルに自覚的になる際に、デノテーションとコノテーションの両方に意識を向けるようにすると、見過ごしている疑問や違和感にも出会えるようになる。それが大小様々な未解決問題として自分の中に蓄積され、その中から腰を据えて考えるに値する問いもこぼれ落ちてくる。

 

自分の注意が向く先に気がついたら、そこに何かしらの「フィルター」がかかっていることに注目してみる。人は何かしらの色のついたメガネで世の中を見ている。思考が柔らかい人は、往々にしてこのフィルターのかけ替えがうまい。その時々で必要なフィルターを選択してものを見て、次々と新しい見方を発見する。見方が変われば、世界が変わる。世界の多面性に気づいたら、次は自在に視点を切り替えながら、たくさんの世界に分け入っていく。視点を動かしながら情報の多面性を意図的に見られるようになると、問いのタネも集まりやすくなる。

 

「問い」を発芽させる

私たちの想像力の目を開かせる契機は、あることを「無知」の状態から、「未知」の状態に転がり込むところにある。そうして遭遇した「未知」が様々なアプローチを経て「既知」になっていく道筋の中で、幾度も「問い」が引き出される。

 

人間には本来、知りたいという本能的欲求が生存戦略の一部として組み込まれている。好奇心の強さの程度は生まれつき決まっているものではなく、外部との相互作用の中で引き出されていく。好奇心には「少しだけ知っている」という状況が大事になる。知らないものには興味は向かないが、十分知っているものにも好奇心はわかない。

好奇心は炎のようなものであり、燃えるには燃料が必要だ。燃料にあたるには、思考や知識、記憶や世界観だ。そこに外部からのセレンディピティが飛来して、着火剤となって火がつく。

質のいい「未知」に出会うために、気になる人に会いに行く、見知らぬ場所に行ってみる、違う職種の人々と交流してみるなど、いろいろな方法がある。ちょっとした越境を起こす方向に自分を差し向けるつもりになるといい。

 

「問い」が結像する

未知との遭遇を幾重にも経る中で、いくつもの問いの芽が顔を出す。ただ芽吹いたばかりの問いは心もとない。まっさらな目で「問いの芽」と向き合っていく中で、「これを問うて何になる?」から、やがて「問わずにはいられない」という確信に変わる瞬間が訪れる。

まっさらな目で見るためには、そのことを一度「アンラーン」する必要がある。アンラーンのコツは次の2つの方法がある。

  1. 「そもそも」と起源や発生をたどっていく
  2. 個人的な起源にも目を向け、自分の内面に耳をすます