人生の後半戦を豊かに生きるために必要なこと
人生の前半戦が成功を求めてきたとすれば、後半戦は意義を求める旅となる。勝敗が決せられるのは後半戦である。前半戦では少々失敗しても十分挽回の余地がある。後半戦では取り戻すのはやや厳しくなる。後半戦になると、ようやく自分のなすべきことを意識しなければならない。
人生の前半戦は達成、獲得、学習、収入が主たらざるを得ない。多くにとって見慣れた経路とは、いい大学を出て、会社に入り、家族を持ち、家を購入し、ささやかな暮らしの要を満たす収入などのために目標を立てて、邁進することだ。
前半戦より豊かな後半戦を生きることを欲するならば、自動運転のごとき生の安全圏を踏み越えた決断がなされなければならない。自己とは何者か、人生で信じて告白するものの由来、日々の活動や人との交わりに意味を与え、それを形作るためにどのような行動を取るべきかを、腰を据えて考え直さなければならない。
微かにささやく声に注意深く耳を傾けることだ。心の箱の中には何があるのか。お金か。仕事か。家族か。自由か。
その箱には1つしか入れることはできない。人生のどのような地点にいるかに関わりなく、箱に入っているたった1つのものを見定めたなら、なすべき行動はおのずと見えてくるだろう。
ハーフタイムをどう過ごすか
40歳の坂に差し掛かると、多くの人がハーフタイムに突入する。しかし、ほとんどの人は、夢遊病状態であり、なんとか定年までしのごうと無理をする。これらのアプローチでは、後半戦を前半戦より良くすることなどおぼつかないし、むしろ事態を悪化させる危険がある。
微かにささやく声を耳にしたのなら、一息ついてから、さらに良い後半戦への備えを行うべき時である。後半戦の出来不出来は、多くの場合ハーフタイムをどう過ごすかにかかっている。前半戦の棚卸しをしながら、同じ問いを自分に投げかけてみることだ。
- 私を胸熱くするものは何か
- 私はどのようにやってきたか
- 私はどこに属するのか
- 私は何を信じているのか
あるいは、ドラッカーが人生の課題を探す人々にアドバイスしたように、問うことだ。
- 自己に要求し期待するところに相応しい自分になるための価値は何か、何にエネルギーを投下すべきか
- 私の向かうべき方向はどこか、学ぶべきこと、変えるべきことは何か
これらの問いへの答えは人それぞれだが、一般的な考えとして、再びフィールドに戻る準備としてうまくいったことには、次のようなことがある。
①和解すること
最初になすべきことの1つは、前半戦で抱え込んできたいくつもの課題と自分自身を折り合わせることである。
②腰を据える
前半戦でしがちな最大の過ちは、真に意義あるものにあえて時間を割こうとしないことである。だから、ハーフタイムに入ったら、同じ過ちを繰り返さないようにしなければならない。
③慎重に
ハーフタイムを成功させるには、しかるべき仕組みを必要とする。課題を通して、自らを「歩ましめる」のに役立つ課題設定を行うこと。この課題には、祈り、耳傾け、聖書を読み、思索する時間が含まれなければならない。だが、慎重な問いかけもまた含まれるべきである。
④正直であること
ハーフタイムを叶うはずのない無謀な現実逃避の手段に利用して、見切り発車するのは間違いである。経済状況や家族との対話、長期目標の設定など、切実な問いに正直に向き合わなければならない。後半戦を前半戦よりも良きものにするためには、真の自己を発見しなければならない。
⑤忍耐強く
一晩ですべてを白紙に戻すなど現実的ではない。残りの人生で何をすべきかについての迷いなき海図は、すぐには浮かばないかもしれないし、場合によっては全く浮かばないかもしれない。
成功から意義へ
前半戦の終わりを迎える人にしばしば見られる特徴の1つは、成功から意義への抑え難い欲求である。前半戦では社会での地位を確立し、経済的安定を目指した後、後半戦では意義ある何か、地位や収入を超えた何かをなしたい。
良き人生とは、「うまくことを成し遂げたい」との健全な願望の結果に他ならない。しかし、成功に至る中で、私たちは「成功だけでは十分でない」というしるしに気づき始める。
成功とは、しばしば心の箱を背負いながら、その中身を知らずに頂上を目指すことでもある。意義というものは、そこがどこであれ旅の途中で立ち止まって、心の箱の中を確認し、それを中心に人生を組み立て直すことから始まる。
意義へのシフトでは、180度の軌道修正など必要ない。その代わり、心の箱の中にあるものに関係する何かに才や時間をもっと存分に活用できるよう調整するのが良いだろう。初心に戻ってワクワクしながらそれを行うのだ。