セゾングループ
無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト。これらはいずれも、堤清二という男が一代で作り上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していた。
小売業にとどまらず、クレジットカードや生命保険、損害保険などの金融業、ホテルやレジャー、食品メーカーまで、多様な事業を展開してきた。他にもセゾングループは、映画配給のシネセゾンやパルコ出版などのメディア関連事業、美術館や劇場といった文化事業を幅広く手がけたところに特色があった。
セゾングループは、一時はグループ約200社、売上高4兆円以上のコングロマリットを形成した。セゾングループの存在感を高めていたのは、消費文化をリードする先進性にあった。1970年代から1980年代にかけて、セゾングループが手がける事業には、いつも何らかの新しさがあった。話題性に富み、高感度のセンスを備えていた。
堤清二の先見性
「商品を売るのではなくライフスタイルを売る」「モノからコトの消費へ」「店をつくるのではなく、街をつくる」
かつて堤が提唱した方向性は、小売業やサービス業、商業施設の開発など、消費に関わるあらゆる産業で、今なお繰り返し、語られている。
西武百貨店、パルコ、無印良品を展開する良品計画など、一連の企業が、事業や広告などを通じて世の中に発信したものの総体が「セゾン文化」だ。高度経済成長によって、欲しいものが手に入ったが、本当の意味で豊かな生活とは何なのか、という生活の指針を失いかけた日本人に、新たな価値を示したのがセゾングループだった。
大衆にも文化を
堤は、父・康次郎に命じられて、27歳で西武百貨店に入社した。当時「ラーメンデパート」と揶揄された西武百貨店を、洗練された文化の発信源へ生まれ変わらせていった。戦後、日本の大手アパレルメーカーは、老舗の高島屋や三越を優先し、西武百貨店とはろくに取引してくれない状況だった。そこで堤は、欧州の高級ブランドを導入して対抗。エルメスやイヴ・サンローランといった有力ブランドの販売権などを軒並み獲得し、いち早く日本に導入していった。
老舗百貨店が手がけない海外の現代美術や前衛演劇といった斬新なコンテンツを、百貨店やパルコの店舗で紹介し、若い顧客を中心に先進的なイメージを広げていった。その強みは、斬新な店づくりに加えて、消費者に夢を抱かせる巧みなイメージ戦略にあった。セゾングループが演出したのは、「大衆にも文化の香りがする豊かな生活が手に入る」というイメージだった。堤は、池袋のラーメンデパートにブランドや文化の「香水」をふりかけて、一流百貨店の仲間入りを果たした。
自己矛盾を昇華させる
セゾン文化の絶頂期、堤は「ブランドそのもの」を真っ向から否定する、無印良品という新業態を世に放った。堤は、無印良品を「反体制商品」と呼んでいた。
「同じセーターでも、ブランドのロゴを付けると2割高く売れる。お客にとって、本当に良いことなのか」
高価なブランドを身に着けた他人の姿を見て、消費者が焦りと羨望を抱き、同じようなブランドを買いに走る。こんな消費社会に、堤は異義を申し立てた。高級ブランドブームの仕掛け人が、真っ向からブランドを否定するのだから、これは自己矛盾以外の何ものでもない。
堤は、こうしたブランド至上主義は、早晩行きづまると予感していた。そして西友のPB商品として、無印良品を生み出した。そこには経営者としての情熱だけでなく、「反体制」を唱えて時代の大勢に抗うという、堤個人の哲学も反映されている。