後回しにせずその場で即決する
101歳になる今も、60年以上前から愛用していたポーラ化粧品のセールスの仕事をしている。今でも新製品の研修や勉強会に参加することは欠かせない。
初めてポーラの化粧品を手にした時から「こんな素敵なものをたくさんの人に知ってもらう仕事をしてみたい」と思っていた。その頃は、今のように子を持つ女性が働く環境は整っていなかったが、完全に諦めてはいなかった。だから、外出した時にばったり会った友人のご主人が「ポーラの営業所を始めた」と聞いた時、運命的なものを感じた。「私、その仕事、前からやりたいと思っていたの。私にもやらせて」と即断即決、その場でお願いした。
他人と比べるのではなく自分をライバルとして成長する
誰かと自分を比べて「◯◯さんに負けたくない」というのではなく、「自分ができないのが悔しい」とあくまで自分をライバルにしていた。この「ライバル視するのは自分だけ」というのは、終生変わらない自分の根幹にある考え方である。
職場のように容易に人の仕事の成果がわかる場所にいると、つい人と自分を比べがちになる。それでストレスを溜め込んだりする。しかし、それ以前に物事を「自分比」で考えてみることで、「他人との比べっこ」をやめることができる。
「自分がどう思われているか」に意味はない
仕事をしていると、理不尽だと思うこともある。そして、理不尽な思いをさせられて、愉快な気分になる人はいない。しかし、不快感をずっと引きずるのはつらいもの。第一、誰も得をしない。結局、割り切って「忘れてしまう」のが一番いい。夜になったら寝て、翌朝起きたら忘れている。その繰り返しである。
他人がどう思うかは、他人の決めることだから、気にしても仕方ない。自分はまっとうなことをやることだけ考えて、あとは「どう思われようが人任せ」でいた方がいい。自分は「鈍感力」の持ち主なのかもしれない。だからこそ、他人の目を過剰に気にすることなく、自分が「こうした方がいい」と思ったやり方でやれたのだろう。鈍感になるのは、まず「自分がどう思われているか」と考えることを一旦やめてみること。そして、「どう思われているか」から「自分はどうありたいか」に軸足を少しずつ移してみる。
人にはそれぞれ好き嫌いがあるので、万人に愛されることは不可能である。それに人は一旦「この人は、こういう人」と思うと、めったなことでは評価を変えない。さらに他人が自分を幸せにしてくれるわけでもない。つまり「自分がどう思われているか」を気にすることは、ほとんど意味のないことである。
その日にやれることをやって「今日も無事に過ぎたな」と思えれば十分
仕事と内職と家事、妹の世話で、毎日が飛ぶように過ぎた。当時の価値観では、女性は「いつか結婚するもの」、そして「主婦となって夫を支え、子供を育てるもの」だった。しかし、結婚も子育ても「いつか自分に起こること」とは、捉えていなかった。
基本的に先のことを考えないし、過去を振り返ることもまずない。その日1日、自分がやれることをやって、「ああ、今日も無事に過ぎたな」と思えればそれで十分である。それは、何十年もたった今も変わらない。
今やれないなら仕方ない
人生にはタイミングというものがある。どんなに望んでも、条件的にその望みを叶えられないこともあれば、思わぬ方向から予想もしなかった話が飛び込んでくることもある。
今の時代、諦めることは、よくないことみたいな風潮があるが、時には諦めを受け入れることも必要ではないか。少なくとも、諦めることに罪悪感を抱く必要はない。今、やれることをやって、いつか巡ってくるかもしれない「そのとき」を楽しみに待つ。それでいい。
無事な1日をコツコツ積み上げる
悲しいことがあった時、ことさら「今日1日が穏やかに過ぎていくこと」だけを見つめるようにしてきた。昨日や明日のことは、考えないようにした。大変な状況下であれば「この一瞬の穏やかさ」を意識するだけでもいい。どんな過酷な状況にある時でも、1日の内でちょっと息をつける瞬間はあるはず。
例えば、お腹は空いている時、ご飯を食べればホッとする。お茶を飲んで一息ついた時や、温かいお風呂に入って体が緩んだ時。そんなささやかな「ホッとする瞬間」に気づけるだけで、人生は違ってくる。
「昨日と同じことができる」「普通のことを当たり前のようにできる」というのは、とても大事なことなのである。仕事があって今日も1日無事に過ぎたんだからという積み重ねでここまできた。自分の幸せは、自分の思い方や感じ方でいかようにもなる。