アイドル国富論 聖子・明菜の時代からAKB・ももクロ時代までを解く

発刊
2014年10月3日
ページ数
255ページ
読了目安
279分
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推薦者

アイドルはなぜ流行るのか
アイドルの歴史を紹介しながら、アイドルが流行する仕組みを解説している一冊。

アイドルとは

アイドルの定義は①若い、②歌手で、③メディアミックス的に活動し、④美貌や声や演技力に恵まれない非実力派である。映画時代の「スター」とテレビ発の「アイドル」とを隔てるものは「非実力派である」という1点に集約される。「スター」の時代、多くは人並み外れて美しいルックスで一般人とは隔絶した距離感を持っていたり、歌唱力や演技力など強い「実力」を持っていたりする事がスターの条件だった。

 

1970年代には「アイドル」という「劣っている者」がそれ以前の「実力派スター」という「優れている者」を市場から駆逐した事になる。アイドルの形態的特徴には「かわいい」という言葉が挙げられる。そこには「美しい」と対比して不完全なものがあり、「アンバランス」「小さい」「幼い」といった意味的特徴がある。「かわいい」には人をして触れたい、庇護してあげたいという欲求を引き起こす。

 

立派すぎるスターはヘタレにはまぶしすぎて見ていられないという感覚に転化する。少し欠点があって、自分が支えなくちゃと思わせるような女の子、つまりアイドルは「かわいい」ものでなくてはならなかった。

 

アイドルと景気

アイドルと日本経済の間には景気循環を基礎とした相関関係があると言われる。時代を画するアイドルは景気後退期に生まれ、景気上昇と共に人気を獲得し、景気が頭を打った1〜2年後に人気が凋落するというものである。

 

戦後日本経済の歴史を見る時、大きく分けて、戦後経済の混乱期(1945〜55年)、高度経済成長期(55〜70年)、戦後経済成熟期(70〜85年)、バブル経済期(85〜90年)を経て、現在に繋がる。アイドルについては、歌手という形で60年代から70年代初頭にかけて生まれ、80年代に1つのピークを迎え、90年代のいわゆる「アイドル冬の時代」で断絶し、また97年のモーニング娘。以降、再び勃興してきたという見方が一般的である。これを日本経済の大きな区分に重ねると、「アイドルの時代」とは、戦後経済成熟期と現代という「行き詰まった時代」に重なるという傾向が見られる。

 

現代アイドルがグローバル市場経済の中で生きるヘタレを支える

日本の中産階級は、長い変遷の中で、戦後の歴史的幸運の中で陥った「ヘタレ」状態を脱して、経済学的には常態である「マッチョ」に戻った訳だが、そこで「ヘタレ」的要素をしっかりと保持する事に成功した。

そして、市場経済体制が持っている過度なマッチョ状態への振れやすい力学に反して、「ヘタレ」であり続けようとするこの国の中で生まれたものが、逆説的にグローバル市場経済を補完し、横から支える可能性がある。

 

ヘタレのためのアイドル

強いものに闘いを挑み、困難に挑戦し、源流に忠実たろうとする姿勢を「マッチョ」、反対にこれに背いて闘いから逃走する姿勢を「ヘタレ」と呼ぶ。この視点から見返すと、「アイドル現象」が示唆するのは、戦後日本は1980年代まで一貫してマッチョ主義を社会の公式規範として認めつつ、その実態は60年頃から次第にヘタレていったという事である。70年代以降、このヘタレ傾向は社会のメインストリームにすらなる。

 

60年代の日本は年功序列の給与体系と終身雇用を特徴とする「日本的経営」の勃興期から全盛期にかけての時期にあたる。いい大学、いい企業に入り、いい給料を得る。幸せな結婚をして、マイホームを建てて、老後は年金を得て幸せな人生を送る。それが若者に親世代が説いた「将来」だった。しかし、実際には競争に勝ち残ったものには大きな報酬があるという事実、自分がその競争に勝ち残れないという事実は、若者にとって自明だったかもしれない。

70年代に入り、将来に大きな夢を抱けなくなった多くの人達にとって、自らの主体性を実現できる可能性は「消費者」の次元にしか見出せなかった。人は、この消費活動による豊かさの実感を他者とのコミュニケーションの中で確認する必要があった。共通の嗜好で再編した「仲間」の重要度が増す中、アイドルのネタは仲間を形成するために最も有用なものの1つだった。

 

アイドル現象の変遷

80年代以降、バブル経済の好景気が訪れ、日本社会と日本経済の閉塞感は、自己肯定的空気に一転する。「優勝劣敗原理」という正論を正面から捉える空気が日本に到来した事により、消費モードの中にはそれまで忌避してきた「ホンモノ」志向が強くなる。「アイドル」という「不完全なもの」の価値はどんどん落ちていき、「アーティスト」と呼ばれる実力派スターが再び評価される時代がやってきた。こうして「アイドル冬の時代」と言われる90年代につながっていく。

 

それから四半世紀、日本社会にはAKB48、ももいろクローバーZ、モーニング娘。など「アイドル」が再び溢れてしまう。デジタル化による効率化で「地域」「学校」など重要な中間組織が解体していく過程で、所属欲求を満たす機会は失われ、自分が孤独ではない事の確認行為は日々の生活の中の友人意識にシフトしていった。こうした状況の中で「アイドル」は自分が孤独でない事を確認するための装置の1つとしてもう一度召還された。

 

バブル以後進行したグローバル市場経済の浸透は、大きな夢を見る事なしに、それでも目の前に手の届く挑戦を諦めずに続けようとする、ヘタレているが懸命にマッチョに日々を生きる態度を持つ「ヘタレマッチョ」を生み出した。そして、現在アイドルはヘタレ達のマッチョ化を支える精神インフラとなった。