フレームをうまく使えばよりよい結果を得られる
人間はメンタルモデルに基づいて思考している。メンタルモデルをもとに現実を切り取ることで、世界を理解可能なものにしている。そのモデルはパターンを認識し、物事がどのように展開するかを予測し、目の前の状況に説明をつける。
自覚の有無にかかわらず、私たちは常時メンタルモデルを使っている。しかし、自分の物の見方を強く自覚し、自分の視点を意識的に維持したり変えたりできる場面も存在する。自ら選び、適用しているメンタルモデルは「フレーム」と呼ばれるものだ。そうしたフレームが自分の世界観や行動を形作る。フレームを用いると、別の状況にも適応可能な一般化や抽象化が可能になる。フレームがあれば、新しい状況に対してもゼロからすべてを学び直すことなく対応できるのだ。
どのようなフレームを用いるかによって、見えてくる選択肢や、自分が下す意思決定や、得られる結果が変わってくる。よりうまくフレーミングできるようになれば、よりよい結果が得られるようになる。
フレームの適用は、因果関係、反実仮想、制約条件を指針とした比較的構造化されたプロセスだ。しかし、そもそも適切なフレームを選ぶことは難しい。利用可能なフレームのレパートリーを豊富に持ち合わせている方が、状況にあったフレームを見つけやすい。しかし、レパートリーが豊富なだけでは十分ではない。それぞれのフレームの性質を理解し、長所と短所を自覚している必要がある。そうでなければ、自分の目標や状況に適したフレームはどれであるかを判断することができない。
因果関係
因果関係は、私たちが現実を把握し、自分の意思決定の結果を予測することに役立つ。人間は経験から因果関係を見出す。私たちは意識せずとも常にそうした作業を行なっている。そして、人間は物事を抽象化したり、推論した因果関係をフレームへと落とし込んだりする能力を培ってきた。こうして生まれたメンタルモデルは、世界を因果関係という点から理解するための何度も利用可能なテンプレートとなる。
抽象的な因果関係のテンプレートを通して世界を見る最大の利点は、世界が説明可能なものになることだ。フレームは意思決定を向上させるだけでは不十分で、フレームが理解を得るためには、因果関係に基づいた説得力のある説明を提供する必要がある。因果に基づくフレームを用いて世界を説明すると、説明を通してより深く正確な洞察が生まれ、世界に対してそれまで以上に学ぶことができる。説明ができれば、それが人間の主体的な行動選択、責任感、周りを動かす力の基礎となるのだ。
どうすれば因果的なテンプレートを用いた思考を向上できるか。その答えの1つは、少なくともそのテンプレートの存在を自覚し、何らかの問題について考える際にテンプレートを積極的に利用していくことだ。
反実仮想
反実仮想とは、実際には起きていないが(反事実)、あり得たかもしれない可能性を思考することだ。この種の思考をすることで、「そこにあるもの」と「そこにないもの」の比較が可能になる。反実仮想は、現実を超えた世界に目を向ける方法の1つだ。この「あり得たかもしれないこと」「これからありうること」に思いを馳せる力がなければ、私たちは永遠に目の前の「今、ここ」にとらわれてしまう。
現在とは別の可能性の世界を想像できると、因果推論を基にして行動ができるようになる。ある結果に対して、これが原因でないかと検証できるようになる。反実仮想と因果推論という要素は、互いに強化し合う。
反実仮想は「因果的決定論」に傾かないようバランスを取るものとしても機能する。因果的決定論とは、出来事間の因果関係は1つしかないという考え方だ。反実仮想によって、別の可能性に思いを巡らせる時、私たちは同時に別の原因はないかと想像する。そうした想像は、特定の原因へ性急に飛びつかないための防御手段となる。
制約
制約とは、反実仮想的な思考を一定の形に留めるためのルールや縛りのことだ。そうした制約は自由に変更を加えることができる。制約を緩めたり厳しくしたり、別の制約を加えたり、過去の制約を取り除いたりする。
制約を設けないと、想像の幅が広すぎて因果関係のメンタルモデルとは全く関係のない反実仮想を行い、行動に必要な情報を引き出せない可能性がある。行動可能な選択肢を考え出すためには、想像を適切な範囲に限定する必要がある。
重要なのは制約自体ではなく、制約をどう生かすかだ。制約を変えていくことで、想像する仮想現実も変化する。価値ある成果を生み出すためには、適切な組み合わせで調整をする必要がある。制約をきめ細かに調整して、適切な反実仮想を行うことがポイントだ。
制約を適用する力を伸ばす最初のステップは、制約がすべてのメンタルモデルに必要なものであり、制約には1かゼロかではなく、グラデーションがあるものだと理解することだ。