内なる遺伝的多様性
女の赤ちゃんは、小さな卵巣の中に未熟な卵子を200万個ほど持って生まれ、一生の間に、その内400個ほどが成熟して排卵される。男の子は思春期になって以降、一生の間に平均して5250億個ほどの精子を作り続ける。それぞれの精子または卵子に対し、減数分裂によるDNAの混合が始まる。その結果として組み合わせの数は爆発的に増大し、任意の2人の親から生まれる可能性のある子供の遺伝型は、気も遠くなるほど多様になる。一組の親が遺伝的には他の誰とも異なる子供を70兆人以上も作ることができる。さらに新しく起こる突然変異を考慮に入れれば、潜在的に生じうる子供の遺伝型はさらに増大する。
誰とも異なる自分だけの塩基配列を持って生まれたことは、運としか言いようがない。私たちは普通、運は自分の外側にあると考えている。しかし、運の中には私たちの内部に縫い込まれているものもある。人は、任意の2人の親から生じたかもしれない70兆の遺伝的組み合わせの内、他の誰とも違うたった1つの存在なのだ。
遺伝子は人生に影響を及ぼす
人間の特徴(性格、精神病、性的行動、寿命、知能テストの成績、学歴)は、多くのバリアント(遺伝子にある複数のバージョン)の影響を受けている。個々のバリアントがこうした特徴に及ぼす影響は非常に小さい。頭の良さや、外向性、うつ病などの遺伝子が、たった1つだけあるのではない。これらの特徴は、ポリジェニック(多因子遺伝をする特徴)である。
統合失調症、自閉症、うつ病、肥満、学歴は、1つの遺伝子に関連しているのではない。関連するSNPs(一塩基多型)は何千、何万と関連している。ある数学的モデルを使った計算によると、身長と小さな関連性を持つかもしれないSNPsは、10万以上に及ぶという。何千というバリアントが1つの形質に関与している時、それぞれのバリアントの小さな相関が足し上げられて、人々の間の意味のある違いになる。
人の遺伝子は、その人の教育や金銭に関係する運命を決定したりはしない。しかしその一方で、遺伝子と教育との関係を取るに足りないことだと受け止めないのも間違いである。遺伝的性質は、人生の成り行きを決定はしなくとも、富を持つかどうかに関連している。
裕福な家庭は、教育がたどる道のりの至る所で、金の力で少しだけ子供を後押ししてやり、子供たちが何らかの結果を経験する可能性をほんの少し高めてやる。そのプロセスが何百万という家庭で繰り返し起こることで、教育格差に無視できない社会的パターンが生じる。DNAもそれと同じく、子供の人生に系統的に働きかける力として、教育の軌跡の至る所で、子供たちをほんの少し後押ししているかもしれない。そして、DNAのバリアントをある組み合わせで持つことの恩恵が、集団の中の何百万という家族で繰り返されて積み重なり、この場合も教育格差に無視できないパターンが生じるかもしれない。長い目で見れば、小さく見える効果も意味を持ちうるのだ。
遺伝子が引き起こす社会的不平等のメカニズム
遺伝子は人の学歴に因果的な影響を及ぼすということはまず確信して良い。但し、遺伝子が社会的不平等に因果関係を持つとわかっていても、その効果のメカニズムについては重要な問題がいくつも未解決のまま残されている。
遺伝子と社会的不平等、特に教育の成り行きにおける不平等をつなぐメカニズムについて、現在わかっていることは次の5つである。
- 教育に関係する遺伝子は、脳の中で活性化している。
- 遺伝子を教育に結びつけるメカニズムは、子供が生まれる前、発生のごく初期に働き始める。
- 遺伝が教育の成功に及ぼす影響は、標準テストによって測定されるタイプの知能の発達と関係がある。
- 遺伝が教育の成功に及ぼす影響は、知能だけでなく「非認知的」スキルの発達とも関係している。
- 遺伝が影響を及ぼすメカニズムを理解するためには、人々と社会制度との相互作用を理解する必要がある。
遺伝的原因による社会的不平等をどのように公平にすべきか
遺伝的差異は、社会的な成り行きや行動上の成り行きに違いを生むが、その遺伝的な因果関係を理解するためには、分子の作用から社会の作用まで何層にもまたがる長くて複雑な因果の鎖の観点に立たなければならない。
因果の鎖が長くて複雑だということは、遺伝型と複雑な表現型との結びつきに介入する機会がたくさんあるということを意味する。医療制度を別のものに変えて「低技能」労働者の賃金が、雇用主が用意する健康保険の莫大なコストのために目減りしないようにしても、人々のDNAを多少とも変えることにはならない。しかし、医療制度を改善すれば、人々の間の遺伝的差異を所得の差異に結びつける、長い因果の鎖の1つの輪が弱まるかもしれない。
遺伝くじと社会的不平等とをつなぐ因果の鎖が長いということは、多数ある輪のすべてについて、公平性に関する判断を下さなければならないということだ。