「すみません」の国

発刊
2012年4月10日
ページ数
220ページ
読了目安
252分
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とりあえず謝る日本型コミュニケーションの解説書
とりあえず「すみません」と謝る日本人の深層構造を解説している本。

何事も曖昧にしておこうとする日本人のコミュニケーションは、国際的にはなかなか理解されない。しかし、こうした日本人の体質にも良い点があるとする。欧米のように自己主張し続け、対立が絶えないのに比べ、日本は寛容である。

日本型コミュニケーションのメリット、デメリットを理解し、空気を読める人になる。

「場」の雰囲気を大切にする

日本人は、ちょっとしたミスをした時など、事あるごとに「すみません」と謝る。

日本的感覚からすれば、何かあった時には、とりあえず謝った方がいい。そうした方が、その「場」の雰囲気が和やかになって、物事がスムーズに運ぶ。
「すみません」で良好な雰囲気の「場」ができ上がると、それを壊すような態度はとりにくくなり、「いえいえ」と言わざるを得ない空気が醸し出される。

日本には、自分の責任を認めて謝る潔さをよしとする美学のようなものがある。そのため、非を認めて謝った人物に対し、それ以上責め立てるということがしにくい。

欧米人は、それぞれ自分だけが正しいと信じ、自分の視点から自分には非がないという自己主張をどこまでもし続けるため、激しく対立する。
一方、日本人は、自分の視点を相対化し、相手の立場に身を置き換えて、相手の気持ちに共感できてしまう。そうすると、自己主張し続けるのは利己的でみっともないと感じる。日本文化にはこの「共感性が高い」という特徴がある。そのために、日本人はすぐに謝る。

面子を重んじる

日本では、どちらの責任かをはっきりさせずに「お互い様」という落としどころに持っていき、双方の面子を立てながら「場」の雰囲気を良好に保つ。個人の責任でなく「場の責任」とし、物事を平和に収拾させる。

しかし、この平和的なやり方は、時に無責任体制につながる。企業でも政府でも、何か事故が起こった時、責任が曖昧であるため、いざという時に即座に対応ができない。
「場の責任」の発想は、被害者と加害者双方の思いやりの上に成り立つが、その前提をなおざりにする者が出ると、責任逃れという形に悪用される。

正論は疎まれる

「場」の雰囲気を大切にする日本では、正論を述べる人は敬遠される。正論は、見当違いな意見を述べた人の面子を潰してしまう。

日本的コミュニケーションでは「何」を言ったかよりも「誰」が言ったかが重視される。「理屈そのもの」の正しさを問う前に「誰の考えであるか」という事が配慮されなければならない。

従って、上位者の発言に対しては、内容の精査や正確な評価よりも、とりあえず尊重すること、正面切って否定しないことが至上命令となる。その時に、正論が邪魔になる。会議で上位者がとんちんかんな発言をした場合などに、正論を口にする人がいると上位者の発言がいかに的外れかが衆目にさらされてしまう。

日本人の体質は、自分と違う考え方を排除しない。相手との間柄によって、調和的な自分の出方を決める。そのため、正義が決して1つでないことを自覚しており、正論を振りかざす人は疎まれる。