関係の世界へ 危機に瀕する私たちが生きのびる方法

発刊
2023年10月16日
ページ数
192ページ
読了目安
242分
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推薦者

個人主義を乗り越えるための道すじ
個人や集団そのものの資質や特徴を見るのではなく、相手との相互の関係性に着目し、物事を理解するという視点を与えてくれる一冊。

伝統的な個人主義から生み出される対立や不平等といった限界をどのように越えることができるのか、新たな世界を共創するために必要な物事の見方の1つを提供しています。

伝統的な個人主義の限界

人間は何千年もの間、共に生活してきたにも関わらず、日常は不信感、偏見、非情さ、利己主義に満ちている。さらに視野を広げると、二極化した対立、不平等、抑圧、流血の惨事に直面し続けている。なぜ私たちは、他者との関係の結び方を進歩させることに失敗してしまったのか。

境界を持つ独立した人々が寄り集まって私たちの生きる世界が構成されているという前提に立つと、個人の資質や特徴に細心の注意が向けられるようになる。人間関係がうまくいかなくなると、私たちは「誰の責任か」「悪いのは誰か」と問い始める。家族、学校、組織、国家について議論する時も、独立した単位に目を向け、その家庭生活の質、その学校の特徴、その組織の体制に焦点を当てる。私たちは「分離」という前提に支配され、その結果、分離した実体同士の関係を語るための語彙は貧しくなってしまう。

 

自らを境界を持ち、他から切り離された単位として理解することは、共有する価値観や生き方とも結びついている。世界の多くの地域で、個人の自由と自律性が重んじられ、個人の功績や英雄的行為が賞賛され、個人の怠慢や臆病さが非難される。このような価値観は日常生活を形づくるだけでなく、様々な制度にも組み込まれている。こうした世界観は1つの理解のあり方に過ぎない。自分は独立した個人であり、独自の考え、感情、欲望を持っていると信じているのは、歴史と文化のなせるわざである。

自分自身や世界に対する私たちの理解、そしてその理解に基づく価値観は、世界のあり方によって決定されているわけではないと気づけば、私たちは自らの立ち位置の限界や足りないところについて自由に問うことができるようになる。さらに、もし問題があるとわかれば、代替案を模索し、創造することもできる。

 

もし私たちの伝統的な理解のあり方が、共生の妨げになっているとしたら、そのような「常識」から抜け出すにはどうすればいいか。最もわかりやすい答えは、他の伝統を探し、その生き方から学ぶことである。西洋の個人主義的な文化とは対照的に、個人を舞台の中心に位置づけないような文化も、世界には数多く存在する。最もわかりやすいのは、共同社会と呼ばれる、個人よりもその個人が所属する集団が重視される社会である。但し、共同体中心の生活には大きな欠点もある。集団への忠誠心は、時に息苦しいものになる。

 

意味は関係から生まれる

個人主義の伝統に限界を感じた多くの思想家たちは、私たちの生活における人間関係の重要性に目を向け、互いを愛すること、思いやり、寛大さ、寛容さ、尊敬、道徳的資質などの大切さを様々に様々に説いてきた。しかし、これらの試みのほとんどは、境界画定的存在という前提から出発し、それらが互いにどのように関わるのが理想かを考えている。個人という基本的に分離した存在が第一でありながら、他者への配慮が求められるのである。

 

この重要性を逆にし、関係のプロセスから始めるとどうなるか。つまり、結びつきを基本とする。この場合、個人について語られることはすべて、関係から生まれるということになる。

例えば「褒める」ことも「感謝する」ことも、個人の独立した行為として存在しているわけではない。これらの行為は、両者の関係の中ではじめて意味あるものとして認識される。両者は協調的な行為あるいは協応行為を通して意味を生み出す。協調がなければ、言葉は意味を持ち得ない。

私たちの言葉は、協応行為を通してその意味を獲得する。身体の動きも同じである。つまり、意味あるすべての行為の源泉は、関係のプロセスにある。私たちが信じたり思ったりすることや、生きるに値すると考えるものは、すべて協調のプロセスの中で生まれ、存続し、あるいは消滅する。私たちが共に生き残るためには、関係のプロセスに注意を払うことが絶対に必要なのである。

 

世界を共に創る

私たちが「人間」と呼ぶものは、関係のプロセスから作られる。私たちは、本を読んだり、物語ったり、様々なことをする。これらはすべて、関係の流れの中で行われる行為である。私たちは、関係の歴史から生まれた変幻自在的存在である。

どんな関係も、最終的にうまくいくかどうかは、他の関係との協調によって決まる。但し、協調的な行為を追求することが必ずしも調和につながるわけではない。私たちは、良い人生や意味に満ちた生活を共創するのと同じ方法で、搾取や不正、侵略を創り出している。

私たちは、見えている通りの道を1人で生きているのではなく、共に道を切り開きながら進んでいる。ここでは、世界を共創する微視的なプロセスに着目すること。そうすることで、より希望に満ちた新しい道を創造することができる。

 

善さをめぐって複数の伝統が対立する時、重要なのは、どちらが優れているかを議論することではない。議論のプロセス自体が、対立する者の間に距離を生み出すことになるからである。むしろ、私たちが共に歩んでいけるような関係のプロセスを見出したり、創造したりすることが答えになる。普遍的な倫理は、どこか遠いところにある抽象的な観念ではなく、私たちの関わりの実践の中で実現される。何より重要なのは、関係のプロセスそれ自体が豊かであるかどうかである。