「自分メディア」はこう作る! 大人気ブログの超戦略的運営記

発刊
2014年11月22日
ページ数
288ページ
読了目安
290分
推薦ポイント 8P
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人気ブログはこうしてできた
月間200万PVのアクセス数を持つ人気ブログ「Chikirinの日記」が、どのように運営されているのか、何をきっかけにブレークしたのかが書かれた本。無名の会社員がなぜ、人気ブログを書くまでに至ったのかがわかります。

思考の記録としての日記

日記を書き始めたきっかけは、小学校5年生の時に『二十歳の原点』(高橋悦子)を読んだこと。著者は学生運動が激しかった1960年代に立命館大学の学生で、生き方や恋愛に悩み、20歳で自ら人生の幕を閉じた。彼女の死後、その日記が出版され、ベストセラーになった。偉人でもない一般人の思考の記録、生き方の記録が、これだけ強烈なインパクトを読者に与えるのだという事に衝撃を受け、日記を書き始めた。

 

その日記を「Chikirinの日記」として、初めてネット上に公開したのが2005年3月。日記歴は25年と、10年近く書いているブログより、2倍以上長い期間にわたっている。時々「ブログネタをどうやって見つけているのですか?」と問われるが、「日記を書くためにネタを探す」という発想はない。今日、考えた事を文字にして書き留める。それはご飯を食べるといった事と同じくらい日常の行為なのである。

 

昔から日記とは「今日はこんな事を考えた」という思考の記録であって「今日は何を食べた。今日はどこに行った。今日は誰と会った」という行動の記録ではなかった。

 

ブログの始まり

初日のブログは、当時話題になっていたライブドア社のフジテレビ買収について書いたもので、当時このエントリを読んだ人の数は、10人にも満たなかっただろう。

書く場所を紙からネット上に移したが、内容的には今までと変わらず「自分が考えたこと」を記録として残す事が目的だった。誰に読まれても困らない、きちんとした文章が残せるというのが、日記帳からブログへの移行の理由だった。人気ブログを目指していた訳でもなかった。

 

ブログを始めるにあたり「はてな」を選んだ。他社と比べて画面がシンプルで、文章が読みやすそうだったのと、日付がわかりやすい事が決め手となった。通常、最初からブログを大きく育てようと考えている人は、独自ドメインを取得し、サーバーを借りて自分でサイトを構築する。しかし個人が趣味で書いているブログにおいて、独自ドメインのメリットは見つけられなかった。

「はてな」を使うと決めた後、ID(ペンネーム)をつけた。ずっと前にハマっていた『ダービースタリオン』という競走馬育成ゲームで自分の所有馬の名前だった「ちきりん」を使う事にした。馬の名前は強さに無関係なので「ちきりん」も適当に付けた馬の名前だった。ところがこの馬がめちゃくちゃ強かったので、以来「ちきりん」を自分のキャラクターネームとして使うようになった。

 

ブログを始めた2005年、会社員だった。そのため、当時は会社員が実名で発信するメリットは何もなかった。それに、学歴や職歴、年齢や立場など、書き手個人に関する情報は「私が考えたこと」を伝えるために役立たないばかりか、むしろ邪魔になる。肩書きによる信用補強がなくても、読む価値がある文章だと思ってもらえるのかどうか、それが知りたかった。

 

ブログの書き方

1つのエントリを書く時間は、文章だけなら30分。図表を作ったり、掲載写真の修正をしたりする場合は、1時間以上かけて書いている。そして、伝えたいメッツセージは1エントリにつき1つだけ。「何を書くか」ではなく、「今日は何を伝えようか」が最初に決まる。それは、誰かと話している時や、本や雑誌を読んでいる時、ネットで遊んでいる時、お風呂に入っている時などに、いきなり「あっ、コレを伝えたい」と突発的に浮かぶ。

 

伝えたいメッセージが決まれば、それをわかりやすく伝えるための論理構成を考え、使えそうな事例やデータをネットで探す。そして、なめらかに発音できる文章を書く事を気にしている。読み手にとって楽しい文章だろうと、音読感の良い文章を心がけている。

 

自分のメディアを作るための5か条

①コンテンツを散逸させない
最もおもしろい、最も新しい文章は、常に自分のサイトで発表するのが原則である。

②ネットの中の人にはならない
ネットに関係の薄い仕事をしている人たちは、ネット内だけで使われる言葉や、その流行りを知らない。それなのにサイト上でネット用語が溢れていたら、それの人たちに「このブログは自分向きのサイトではない」と判断されてしまう。

③つながる世界でつながらない
「ネット内のトレンドに詳しくない読者」にとっては、自分にはよくわからないネタで盛り上がっているブログを読むのは面白くない。盛り上がっているから、今日はこのテーマについて書くという行為は、主体性が感じられない。自分が最初に面白いトピックを発信し、他の人が自分を追いかけてくれる方が、サイトの価値も上がる。

④オープンな場所に居続ける
有料のメルマガやサロンで集められる人数は、誰であってもブログやツイッターなど、無料かつオープンなプラットフォームで集められる人数とは、ケタが1つか2つ違ってくる。誰でも読めるオープンな場所にいる事を大事だと考える。

⑤信用力を売らない
信用力を築くにはとても時間がかかるのに、壊れる時は一瞬である。そのため、投資関連企業やマネー誌、世論を二分する賛成・反対論を抱える企業からの取材や執筆依頼は受けない。

 

なぜブレークしたのか

いきなりネット上に文章を書き始めても、読んでくれる人はほとんどいない。最初の1年くらいは、月に1500PV程度で、内10名くらいが固定読者という感じだった。最初の3年間ほど全く注目されておらず、人気化したのが2008年から2010年にかけてである。

 

2008年の半ばに「はてなブックマーク」が大量に付けられるようになり、それにつれてブログへのアクセス数も急増した。最初に注目されたエントリは、2007年末に書いた伊勢神宮の式年遷宮に関するもの。お正月休みに「伊勢神宮」で検索をかける人が多かった事から発見され「ブクマ」で批判される事でアクセスが集中した。その後、有名な目利きのブックマーカーの1人が毎日「ブクマ」を付け始め、注目されるようになった。

 

当時の「はてな」は、多くのアクティブユーザーを抱えており、ツイッターが普及するまでは、日本で最もパワフルなクチコミサービスだった。それが「Chikirinの日記」ブレークの発端となった。

参考文献・紹介書籍