〈わたし〉はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義

発刊
2014年8月28日
ページ数
301ページ
読了目安
450分
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人間の意識はどこから生まれるのか
認知神経科学の父とも言われる世界的な神経科学者が、脳と意識の関係を解き明かす一冊。人の意識はどこから生まれるのか、脳の仕組みを解説しながら、人間の自由意志とは何かを考えさせる内容になっています。

意識は創発特性である

現在の神経科学では、意識は総合的な単一のプロセスではないというのが定説だ。意識には幅広く分散した専門的なシステムと、分裂したプロセスが関わっており、そこから生成されたものをインタープリター・モジュールが大胆に統合している。意識は創発特性なのである。様々なモジュールやシステムが注意を惹こうと競い合っていて、勝者が神経系として浮上し、その瞬間の意識的経験の土台となる。たえず入ってくる外からの情報に脳が反応して、行動の展開を計算し、実行に移す間に、意識的経験も組み立てられていく。

 

私達が意識するのは経験という1つのまとまりであって、各モジュールの騒がしいおしゃべりではない。意識は筋の通った一本の流れとして、この瞬間から次の瞬間へと自然に流れている。この心理的統一性は「インタープリター」と呼ばれるシステムから生じる経験だ。インタープリターは、私達の知覚と記憶と行動、それらの関係について説明を考え出している。それが個人の語りにつながり、意識的経験が持つ異なる相が整合性のあるまとまりへと統合されていく。混沌から秩序が生まれるのだ。インタープリター・モジュールはヒトの脳の左半球だけに存在すると考えられ、仮説を立てようとするその衝動が、人間の様々な信念を生じさせる原動力となっている。このシステムが自分が「自分」であるという感覚を与えてくれる。

 

精神はどこから生まれるのか

私達は、自分が一つのまとまった意識体として主体的に行動しており、ほぼすべての事を自由に選択できると感じている。しかし同時に、私達は装置でもあり、宇宙を支配する物理法則の対象になる。

精神を成立させているのは脳の生理学的な作用であり、それゆえ精神も他のものと同様宇宙の物理法則に支配されている。知的コミュニティの中では、この宇宙ではすべてが決定されているという考えが優勢だ。精神の成立が物質から意識への作用、即ち上向きの因果関係である以上、すべては決定済みだという考えが主流だ。

 

しかし、現代の神経科学が決定論に関して全面的な原理主義を貫いている訳でもない。精神は、詳細はどうあれ脳の物理的なプロセスで出現するが、同時にその精神は脳に制限を加えている。精神と脳はどう関係づけるべきか。

 

脳は並列分散処理

私達の脳は並列分散システムが自発的に機能していて、インターネットに本部がないのと同じで、どこかに元締めがいる訳ではない。私達は自分の決定が意識的で意図的だと思っているが、人間には、あらかじめ配線され、傾向が定まった行動や選択が山ほどある。実際の脳は、何百万というプロセッサーがそれぞれ重要な決定を下している。私達が自覚している意識は氷山の一角で、自覚に届かないレベルでも無意識の脳が忙しく働いている。心臓を動かし、肺に呼吸をさせ、体温を維持するのもその1つである。

 

脳にはありとあらゆる局在的な意識システムが存在しており、その組み合わせが意識の出現を可能にしている。意識感覚は1つにまとまっているようでいて、実は無数の独立したシステムが形成している。ある瞬間にふと意識上にのぼる考えは、その時最も優位を獲得したものである。

 

人間に自由意志はあるのか

脳に組み込まれている多くのシステムは、担当領域に刺激が入ってくれば自動的に仕事をする。それが意識的に自覚されない事もしばしばだ。では、自分自身に統一がとれていて、制御できている感覚はどうなっているのか。その答えは左半球にあるモジュール「インタープリター(解釈装置)」にある。

 

パターン探しの頭脳プロセスは左半球で行われている。混沌の中に秩序を見出し、すべてをストーリーに織り込み、文脈に当てはめようとする人間ならではの傾向は、左半球に端を発している。私達は一日中インタープリター・モジュールを使って、置かれた状況を把握し、外から入ってくる情報や自身の生理学的反応を解釈して、そのすべてに説明をつけている。

 

右半球は物事を額面通りに受け取り、正確に記憶するのに対し、左半球はよく似たものを同じだと思い込みやすい。インタープリター・プロセスは、入力された情報をかき集めて、辻褄の合うストーリーに仕立てあげる。この時、インタープリターは入手した情報以上の結果は出せない。インタープリターが受け取るのは、無数のモジュールが行った計算結果だ。

 

私達の主観的な自覚は、意識上に浮かんできた断片的な情報を説明しようとする左半球の飽くなき追求から生まれでている。これは後付けの解釈プロセスだ。インタープリターは、行動の原因を説明するために時間を巻き戻して意識を出現させる。

本人がその欲求を意識する前から、行動が無意識に始まっているのだとすれば、意志の原因としての意識の役割はなくなる。人間に自由意志はないのか。

 

行動の道筋を定める作業は自動的かつ決定論的だ。しかし、実行された一連の行動は意志的な選択のように見えるが、実は相互に作用する複雑な環境がそのとき選んだ、創発的な精神状態の結果なのだ。内外で生まれる相補的な要素が行動を形づくっている。