「協力」の生命全史 進化と淘汰がもたらした集団の力学

発刊
2023年6月28日
ページ数
354ページ
読了目安
586分
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ヒトが繁栄しながら争うという進化上の性質
ヒトは「協力」という能力によって、繁栄をしてきた。他者との協力によって、より多くのものを手に入れることができる。一方で、協力はヒト同士の争いを生むことになった。

人類の進化の歴史や生物学の視点から「協力」という行為が与えた社会や生命への影響について、解き明かしている一冊。ヒトがどのような性質を持つのか、どのようにすればより良い社会を形成できるのかといったことが理解できます。

ヒトは「私たち」の視点で考える

幸せを買うのはお金そのものではなく、自分と似たような人々よりも多くお金を持っているという認識だ。仲間よりも財産が少ないという考えは、ヒトにおいて人生の満足度を下げる最大の原因の1つである。

自分と同等の人よりも暮らし向きが悪いことは不快であり、私たちは社会的パートナーがさらに多くのものを手に入れるのを阻止するためだけに、進んで自分のお金や労力をつぎ込む。公平性に対する好みは、ヒトの成長のかなり早い段階で現れる。大人と同じように、子供も不公平を拒む傾向がある。自分の取り分が他者より少ないことを嫌う性質は、成長中に習得した好みというよりも、ヒトの心理に元々刷り込まれている可能性が高い。

 

ヒトは地球上に出現してから大部分の歳月を、いくつかの家族が一緒に住む大規模な集団の中で暮らしてきた。チンパンジーも、ヒトと同じように複数の雄と雌を含んだ集団で暮らしているが、ヒトと違うのは、その集団の中に複数の家族集団が存在しないことだ。ヒトはチンパンジーよりも一歩進み、身近な集団の外にも仲間の輪を広げ、1つの場所に住む人々とそれ以外の場所に住む親族を長い糸で結びつけた。ヒトの最初期の社会は、協力的繁殖を行う他の種に見られる血縁者だけの拡大家族と、主に血縁者以外の個体と交わるチンパンジーのようなより流動的な社会が交じり合った独特のものだった。

地球上に出現してからほとんどの期間、ヒトは乾燥した不安定な環境で、大部分の食料を狩猟や採集、腐肉あさりで手に入れてどうにか命をつないできた。食料を見つけるためには仲間と協力する必要があり、チンパンジーとは違った状況で互いを必要とした。

 

自らの生存と繁殖の成功を他者の労力に頼る割合が大きいことを考えると、ヒトがやり取りする相手の観察と評価、そして自分自身をできるだけよく見せることに特化した一連の社会認知的な性質を進化させたのも納得できる。公平であるとの評判を得れば、生存に欠かせない危険な冒険に付き合ってもいいと仲間に思わせることもできる。

ヒトは「私たち」の視点で考え、他の類人猿は「私」の視点で考える傾向にある。ヒトは社会的なやり取りにおいて、手に入れられるお金などが他者より少ないことを嫌う。とりわけ、その確保に一定の役割を果たした場合はそうだ。しかし、チンパンジーはそうした社会的比較を行わない。おそらく、公平性や、やり取りする相手の意図を気にするヒトの性質が、他者の幸福を心から気にかけたり、自らを犠牲にして自発的に他者を助けたりする傾向など、ヒトの協力行動の独特な側面のいくつかを形成したのだろう。

 

協力はヒト同士の戦いを生んだ

共同作業の能力を備えたことで、ヒトは恐ろしいハンターになった。しかし、狩猟能力の発達は、思いがけない別の影響をもたらした。社会秩序を破壊する能力だ。チンパンジーの最上位の雄は力ずくで集団を支配し、腕力に頼って権力を振りかざす。しかし、ヒトの祖先は違う。誰もが遠くから石を投げたり、槍で襲ったりできる世界では、腕力は権力を振るう手段として使えない。弱い敵でも反撃できるからだ。

ヒトの世界では、権力や地位は社会的ネットワークにいる他者の支援に依存する。連携や交友関係、同盟は私たちの目標の達成を手助けする社会的な手段として機能している。これらは、社会的地位の安定や向上にも役立つ。とは言え、すべての交友関係が持続するわけではない。

 

昨日の友が今日の敵になりうる世界では、他者からの脅威の兆候に細心の注意を払い、集団内の他者同士の関係に目を光らせ、将来の問題になりそうな時にはその関係を壊すことさえ必要になる。ヒトはとりわけ、こうした社会生活の細部を気にしている。私たちは他者を反射的に「内集団」と「外集団」に分ける。

このように過度にグループ分けを好む私たちの心理は、皮肉にもヒトの過度に協力的な性質から生まれたものだ。最初期のヒトは互いに力を合わせることにより、自然の中で直面する困難を乗り越えられるようになった。しかし、その結果、他のヒトの存在が主な脅威となった。ヒトは自然との戦いをしなくなり、ヒト同士で戦うようになったのだ。

 

協力の代償

協力と競争はコインの裏表のようなもので、表向きは協力に見えても、裏から見れば競争であることが多い。協力は実際のところ、世界における自分自身の立場を高めるための手段だ。協力はそれが競争を有利に進められる場合に選択される。その結果、協力ではたびたび犠牲者が生まれる。

汚職や賄賂、身内びいきといった行為は、それぞれ協力の一形態として考えることができる。その恩恵は仲間や協力者が手にし、代償は社会の他の人々にのしかかる。協力を有益と見るか有害と見るかは、完全に見る者の視点によって変わってくる。

 

協力をうまく利用すれば富をもたらしてくれるが、悪者が悪意をもって利用すれば破滅がもたらされる。ヒトは協力によってこれまでに繁栄した。しかし、協力をよりよく利用する道を見つけなければ、つまり、私たちが直面している世界規模の問題にまで協力の範囲を広げなければ、私たちは自分自身の成功の犠牲者となる恐れがある。